3月21日(金)

清の「言いたい放題」

スポーツ好きにとっては特に待ちに待った本格的な春本番の到来だ。相撲に、サッカーに高校野球、プロ野球の開幕等々、毎年ながら元気が出て、力が湧いてくる。自然とだ。そこへ、今年は日本でのメジャー開幕戦。ドジャース対カブス戦とあっては。
小学2年生の夏休みに終戦を味わった。
小学生時代だっただけに遊ぶ物は皆無。
一般道路上でのカンケリ、かくれんぼ、等。
道具を使わないものばかり。
又、三角ベース(野球)は当たり前。
ほどなく、知ったのが、野球、それも、プロ野球だった。4歳年上の従兄弟がラジオでプロ野球の実況を聞くようになり、その後ろに座って一緒に聞くしわからないまま待つようになったのがキッカケ。
名古屋の球団、中日否、小学校低学年だったので球団名は忘れてしまった。
ただ、“西沢?”“西澤”という選手の名前だけは今も明確におぼえている。
従兄弟の友人と同名、それで、ラジオを聞くようになったようだ。道路上での、三角ベースはますます盛んになり、今では想像も出来ないだろうが、もちろん、人は歩いていたし、時には牛車が通ったりもしていたが、車の往来は少なく(車が来たらタイム)だから出来たのだが。
そうこうするうちに気がつけば何故だか南海ファンになっていた。その後、一時名前が代わり近畿グレートリングになっていたが、再び南海ホークスに戻った。阪神、阪急、近鉄もあったのに何故南海になったのかわからない。1番センター安井、2番ショート木塚、3番ライト笠原…確かこんなオーダーだったと思う。
鶴岡さんは山本姓だった、と思う。蔭山さんが入団してきたのも、この頃、後に「あなた買います」で有名になった穴吹さんが入ってきた。
メジャーの開幕戦を観ているうちに思い出したのが、初めての生観戦は運動会のリハーサルを欠席して西宮球場へ観に行った。
戦後、初めて日本へ来たサンフランシスコシールズの試合で、関根潤三さんだったか否違う、選手は忘れたが監督ははっきりと、サンフランシスコはオドールさん。
日本は浜崎さんで浜崎さんは小柄、オドールさんと記念写真はほんとに大と小とデコボコだった。その頃、今日の野球の隆盛を誰が予測しただろう。
そして、赤バットの川上、青バットの大下の時代。プロ野球ニュースを担当した最初の解説は大下さんで大感激だったのを思い出す。
テレビを観ていると東京ドームへ入れた少年、入れなかった少年が沢山いたが、5年、否、10年先はどうなっているのだろう。若い頃の体験は買ってでもとはよく言われたことだが、ほんとに貴重な体験をしてきた、と思う。ちょっとした時に古いことを思い出す高齢になったせいだろうか。複雑だ!
さあ、競馬の方。今週は天皇賞(春)の前哨戦、伝統の阪神大賞典だ。ここは人気でも武豊騎手に乗り替わるショウナンラプンタだ。この乗り替わりは大注目だ。阪神競馬場で3戦3勝となるのか。そのための乗り替わりだろう。