1月17日(金)

清の「言いたい放題」

“風花”が舞っていた。メッチャ寒い朝だった。
1978年1月22日(日)。今もあのシーンが脳裏に焼きついている。日経新春杯、馬場も堅く凍てついていた。
4コーナー手前、先頭を走っていたテンポイントが大きくバランスを崩した。一番恐れていたことが実況中に目の前で起きた。
咄嗟に言葉が出てこず「これはえらいことになりました。これは…」と同じことを繰り返すばかり。
このレースはハンデ戦のため、テンポイントは66.5kgのこれまでにない重いハンデを課せられていた。
67kgなら出走していなかったろう。0.5kgが運命を分けた。
なんで…口には出さなくとも皆、そう思っていただろう。
22日の朝、京都競馬場(今年は特別に中京)大歓喜の有馬記念から1ヶ月振りに会った高田オーナー。心境は複雑だった。
前年から当時としては珍しく海外遠征を意識。ヒースローでは、ロンシャンでは…と思いは早くから海外へとんでいた。
そのためには何としても宿敵トウショウボーイには勝っておきたい。その思いは日に日に増し1977年12月18日をむかえた。
テンポイントが出走するなら、と前年テンポイントに勝ったトウショウボーイも出走してきた。
海外遠征した時、ドキュメント番組を作りたいとプロデューサーがこちらに中山競馬場での実況録音を頼んできた。古いスタンドで実況室はなく一般スタンドにロープを張って、席を確保。
スタートからTTの一騎打ちになり「あなたの、そして、私の夢が走っています」の文句が。直線、テンポイントがトウショウボーイを競り負かし歓喜した有馬記念からまだ1ヵ月。
なんで又…
高田オーナーは「長男にも言われました」と言いながら使った理由を話された。
日経新春杯は重量、馬場状態等いろんな要素があってハナを切る作戦に出たに違いない。それでもこのまま押しきるのか…と思いながら実況。ところが、4コーナー手前でバランスを崩し「これはえらいことになりました」を連呼することに。0.5kgが全てを分けた。
勝負の厳しさをまざまざと見せつけられた1978年の日経新春杯。
このレースが来るたびに「とにかく、全馬無事で」と願いつつ実況してきた。
今年も、実況はもう引退しているが思いは同じこと。
そして、最後に“私の夢は”ズバリ!メイショウタバルだ。浜中俊騎手の好調さと相まって頑張ってくれるだろう。
全馬、無事で!