番組審議会 議事録概要
「前田穂南が走れなかったオリンピック」(9/1放送)について審議
- 放送日時
- 2024年9月1日(日)
16:00~17:00 - 視聴率
- 個人全体関西地区0.9%(占拠率4.6%)
- オブザーバー
- スポーツ局 スポーツ部 ディレクター
柴田俊介
参加者
委員 |
委員長上村洋行(司馬遼太郎記念館 館長 司馬遼太郎記念財団 理事長) 委員長代行難波功士(関西学院大学 社会学部 教授) (敬称略50音順) |
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関西テレビ |
大多 亮代表取締役社長 |
議題
- 局に寄せられた視聴者からの意見苦情等の概要(7、8月分)報告
- 審議番組 「前田穂南が走れなかったオリンピック」
[9/1(日)16:00~17:00放送] - その他 番組全般、放送に対するご意見、質問等
第657回番組審議会では、7月・8月分の視聴者対応報告のほか、スポーツドキュメンタリー番組「前田穂南が走れなかったオリンピック」について審議された。委員からの意見は下記に記載。
番組概要
「前田穂南が走れなかったオリンピック」(9/1放送)
パリ五輪女子マラソンの35時間前にレースを欠場することになった前田穂南(28)。
9年間に及ぶ密着取材に加え、パリ到着から欠場の決断、今の思いを独自取材。五輪欠場に至る過程と真実を伝えるとともに、前田穂南の五輪への思い、そして走ることへの信念に迫るスポーツドキュメンタリー。
「五輪で走ること」を夢見て、実業団の門を叩いた前田穂南。
五輪代表内定後の1年延期、コロナ禍での東京五輪、度重なる故障、パリ五輪代表選考レースMGCでの敗戦。様々な苦しみを乗り越え、2024年1月の大阪国際女子マラソンで19年ぶりに日本記録を更新。パリ五輪マラソン日本代表“最後の一枠”を掴んだ。
しかし、パリ五輪のレース2日前に右大腿骨の疲労骨折が判明。
パリを走ることができなかった。
五輪で走ることを夢見て、東京五輪で苦しみを味わい、パリ五輪への切符を掴みながら走れなかった前田穂南。「最後の五輪」と位置付けたパリが終わった今、何を思うのかー。
委員からのご意見
- 小さい頃から嘱望されたいわゆるエリートランナーかなと思っていたが、今回のドキュメンタリーを見て、そうではないということを知った。昭和風に言うならば根性とか努力の虫といったイメージか。とにかく走って走って走りまくってきた人生だったということは伝わってきた。
- 挫折を乗り越えて、そこから地道な努力を積み重ねてはい上がってきたからこそ、言葉には力があるというふうにも感じた。例えば、「走る人生を決めたからそれで終わりです」「走らない人生ですか、ないです」「パリに行きたい、行かなければいけない」「夢ですか、オリンピックで金メダルを取ること」等とさらっと言っていた。こうした言葉からは、目標に向かって突き進む力強さが伝わってきた。口数は多くない方なのだろうが、芯の強さが伝わってきた。
- 最後まで一気に見ることができた。オリンピックを走れなかったという結末はもちろんタイトルからもわかるし、事前に情報として持っているので、結末は知っている。オリンピックへの思いや金メダルへの思いをずっと前田選手が語っていくのを見ると、どんどん苦しい気持ちになるというか、結末を知っているからこそ切ない気持ちになるというか。どうして出場できなかったんだろう、その裏側をきっと見せていただけるんだろうなと思いながら、最後までだれることなく一気に見ることができた。
- 印象に残ったシーンは、前田選手が合宿で疲れていてコーチがストップをかけたけれども、それを振り切って走る。そして走り終わった後、泣き崩れる。その泣き崩れた様子を見ていると、アスリートの厳しさというものが映像からも伝わってきた。それから、パリで痛みを感じて女性のコーチのような人ともう一人、3人で歩いているのか走っているのか、何か練習しているような雰囲気が出ていた。そのとき、ナレーションがつかないサイレントの画面で、前田選手だけが右足を動かしている。それを見て、やはりアスリートの不安感というのが映像だけで伝わってきた。あのシーンはよかったと思う。
- CMの映像はすごく気になった。今回のドキュメンタリー番組は映像がとてもきれいだと思った。走っている映像をすごくきれいに撮っているなと思った後に、またきれいな映像のCMが流れてくる。スポンサーなのはわかるが、映像を提供しているのか、どういった関係なんだろうということが気になった。
- マラソンのゴールという最大のハイライトが絵にできない、撮れないという状態で番組を成り立たせなければならない。編集には苦労したと思う。でも、そのことが番組制作のよきトレーニングになっているんじゃないか。緊急事態のときに、それでも絵を組み合わせて番組をつくるといういい機会を持ったんじゃないかと思う。
- もっとケガのことを突っ込んでほしかった。どんなけがだったから走れなかったのか。素人だと疲労骨折というものは近しく感じられないので、映像、MRIの写真を見せていただくとか、もうちょっと詳しく聞きたかった。
- 難しい番組だった。ただただ走っているだけの人間をどう捉えてどう番組にするのかという、そこが本当に難しい番組。起伏が少ない。どこにハイライトを取るか、あるいはどこにノンフィクションとしてのドラマを見いだそうとするか。走るということに対しては戦術論を見いだすのもまた難しい。チーム競技であれば、ここでこういう戦術を取りましたというふうな取材もできるんでしょうが、そこも難しい。結果的に難しい番組だったなと思う。
- 前田選手がいつ、どこでしゃべっているのかというのがよくわからないのが混ざっているので、混乱するところがあった。例えば、「私は東京で終わっていた」と。「あれ(東京)はオリンピックだけどオリンピックじゃない」とか。でも、そこはもう一歩突っ込んで聞いてもらったほうが視聴者にとってはよくわかったんじゃないかというふうに思う。「パリで終わり」だと言っていたのが、「また走れというメッセージだ」というのも、その時々の心情を彼女は素直に語っているんだと思うので、決して作り物だと言うつもりはないが、ちょっとわかりづらいところはあった。
- なぜ9年間も前田穂南さんを密着取材することになったのかわからず、気になりながら番組を見た。もし東京五輪で力を出し切ってメダルが取れていたら、そこで取材は終わっていたのか。取材を始めた当初からわかるはずはないが、このドラマチックな展開を生かした番組として、評価されるべきなのか。いろいろな考えがめぐった番組だった。今後も密着取材は続くのか、最後の最後まで気になった。
- 単調という印象を強く持った。単調じゃなくすために何があったのかなと思うが、多分、一番自分が見たいというか聞きたいのは、補欠としてノミネートされていたが、緊急過ぎて出られなかった方のインタビュー。この期間で撮れないと思うが、その方がどんなふうに思っているのか。あと、高校のとき駅伝の補欠だったという話があったので、(当時駅伝を)走っている選手たちが今の前田さんをどう見ているのか。そういう幾つかのアクセントがあったら単調とか起伏がないという話にならなかったのかなと思う。
- 映像で前田選手の姿ばかりが目立ってしまい、単調な感じがしてしまった。前田選手は口数が少ないと高校時代の先生がおっしゃっていたので、そういう方なんだろうと。しかし、片言隻句ではなくて、ゆっくりと話を聞き出したら、この9年間でいろんな話が出てきたんだろうと思う。コーチは出ていたが、そのほかにも登場人物がいたし、クラスメートや両親といった方たちが前田選手の気風みたいなものを間接的にどういうふうに感じておられたのかという取材がもう少し入ったら、我々視聴者にもっと伝わったのかなと思った。
委員のご意見を受けて
- スポーツ局 スポーツ部
柴田俊介 ディレクター - 制作者・取材者として「自分が伝えたいこととその表現方法」が、番組をご覧いただいた方にどう届いているかということを知る貴重な機会をいただきました。テレビ番組として分かりやすさを求めて説明を多くするのか、多くを語らず映像の力で視聴者の想像にゆだねるつくりにするのか、そのバランスにいつも悩みながら制作しておりますが、今回の審議会で今後の番組づくりへのヒントをいただいたような気がします。ありがとうございました。