10月11日(金)

清の「言いたい放題」

京都大賞典(10/6)のブローザホーン、いったいどうしたんでしょう?
宝塚記念であんな凄い追い込みで快勝したのに。そこが評価されて2.6倍の1番人気に支持されたのに。大目標とする暮の有馬記念へ前哨戦とはいえ、頭をかしげざるをえない。
これまでのレース振りから当然、後方からの競馬になることは予想出来たことだが、あまりにも動きが悪いというか、平凡以下だった…と思う。
かつて、年度代表馬にもなったキタサンブラックが宝塚記念で同じようなことが。
勝てば海外遠征へのプランがあり、同行取材の依頼があり、楽しみにして、当日、阪神競馬場で清水調教師の傍で見ていたが、レースではいつもの気配なく見せ場なしに中団から中団で終わってしまった。“天まで”と勢い込んでいた帆船が全く上がらず、オカシイ、オカシイの間に終わってしまった感じ。ゴールする前に清水調教師が馬場の方へ走って行かれるのを見て、故障?と思ったが何の異常もなく、わけのわからない負け方。「馬も走りたくない時があるんだョ」北島三郎さんは平然とされていたが、その後、天皇賞、有馬記念で巻き返し、年度代表馬に。
以前にも書いたことだが、前哨戦というのは本当に難しい。この京都大賞典、貴重な忘れられない思い出がある。
パッシングベンチャ(牡)が勝った'76年。
そこへテンポイントが出走してきた。
「見てくれ!この脚」で全国区になったものの、翌年デビューした同期のトウショウボーイに遅れをとることに。皐月賞トウショウボーイの2着、ダービーは骨折。ひと夏休養のあとの再起戦。きれいな栗毛470kgぐらいの馬体が30kgくらい増え、筋骨隆々としていた。まさに、ひと夏を越して、の典型。
同レースで3着になったのを実況していて「今日はこれで充分だ!」と絶叫。中継後ディレクターから単勝も売れているのに、と苦言があったが、そういうのは一切なし。
「あの実況には涙した…」牧場の奥さんのひと言に救われた。それからの同馬の活躍、2度目の有馬記念では宿敵、トウショウボーイ、怖いグリーングラスを退け日本一に輝いた。
事実上のスタートは京都大賞典だったともいえる。そんな思い出もあるレース。ブローザホーンの「今度こそ!」を待っている。
“夢”ではない。芯からの期待だ。