12月20日(金)
清の「言いたい放題」
時の流れのなんと早いことか。もうこの季節だ。幼少の頃は正月から正月まで(一年間)がものすごく、長かった気がしたが、最近はほんとに早く感じるようになった。それだけ、年齢をとった、ということだヨ。とは周囲の声。確かにそうかもしれない。
否、はっきりとそうなんだ。
昨年、ドウデュースが鮮やかに勝ったのが、まだついこの間のように思うのも無理もない。
「あなたの、そして、私の夢が走ります」の季節だ。
このひと言、いったい、いつ口をついて出たのか。
確かテンポイントが勝った第22回の1977年12月18日、あれは昭和52年の有馬記念だった。テンポイントが勝った年の有馬、その前の年はトウショウボーイに敗れている。
有馬記念が近づいてくると、投票委員にもなっていた関係で、あの馬、この馬と気になっていたのは事実。ただ、第22回の時だけは違った。
レースの実況は中山競馬場だった関係で当然フジテレビのアナウンサー。それがなぜ?この年は年明けてテンポイントの海外遠征の話があり、その時のために、中山へ行って実況してくれ、とプロデューサーからの依頼を受けていた。
高田オーナーも乗り気で英国では仏では、と具体的な騎手の名前が話題になっていて話はどんどんふくれていった。
そして、天皇賞(春)を勝って海外遠征はゆるがないものとなっていた。
何はともあれ、有馬記念を「勝たないと」の声は聞かれたが「否、いいレースさえすれば」。高田オーナーの腹は決まっていた。
関西馬だし、カンテレでドキュメント番組をということになって「杉さん中山へ行って下さい」プロデューサーの決断で中山へ行くことに。
ところが、まだ昔の古いスタンドで実況室はなく苦肉の策でスタンドにロープを張って辛うじて席を確保。ドタバタのうちにスタートは切られあの展開に。トウショウボーイ(武邦彦騎手)がハナに立つ。敵はこれしかないと(鹿戸明騎手)テンポイントがピッタリとマーク。
テンに早いスピリットスワプスやグリーングラス、プレストウコウ(菊花賞馬)等がいたのにどれもついて行かない。馬群はそのままで内正面へ。スタンドのお客さんは総立ち。モニター等はなく接話マイクもまだない時代。つい、実況する方もスタンドマイクを握りしめて立ち上がった。このままいくと面白くない実況になるだろうナ~。の思いが頭をかすめ冷や汗。とっさに、これはファン投票のレースだ。
瞬間口をついて出たのが「あなたの、そして、私の夢が走っています」3コーナーの手前だった。
直線に向いてもそのまま。僅かにグリーングラスが差をつめてきただけ。まさにT・T・Gの結果になったあのレースで出た文句だった。
以来、次の年の宝塚記念(関西で実況していたファン投票のレース)以来、いまだに続いている46年も…。
因みに私の夢は来たことがない!
メジロマックイーンの時に武豊騎手に言われた。
「僕の馬を私の夢にしないで下さい」と冗談気味に。
さぁ、今年はどうする!乞うご期待だ。
そのうちにバレルだろう~
最後にファンの皆様、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
否、はっきりとそうなんだ。
昨年、ドウデュースが鮮やかに勝ったのが、まだついこの間のように思うのも無理もない。
「あなたの、そして、私の夢が走ります」の季節だ。
このひと言、いったい、いつ口をついて出たのか。
確かテンポイントが勝った第22回の1977年12月18日、あれは昭和52年の有馬記念だった。テンポイントが勝った年の有馬、その前の年はトウショウボーイに敗れている。
有馬記念が近づいてくると、投票委員にもなっていた関係で、あの馬、この馬と気になっていたのは事実。ただ、第22回の時だけは違った。
レースの実況は中山競馬場だった関係で当然フジテレビのアナウンサー。それがなぜ?この年は年明けてテンポイントの海外遠征の話があり、その時のために、中山へ行って実況してくれ、とプロデューサーからの依頼を受けていた。
高田オーナーも乗り気で英国では仏では、と具体的な騎手の名前が話題になっていて話はどんどんふくれていった。
そして、天皇賞(春)を勝って海外遠征はゆるがないものとなっていた。
何はともあれ、有馬記念を「勝たないと」の声は聞かれたが「否、いいレースさえすれば」。高田オーナーの腹は決まっていた。
関西馬だし、カンテレでドキュメント番組をということになって「杉さん中山へ行って下さい」プロデューサーの決断で中山へ行くことに。
ところが、まだ昔の古いスタンドで実況室はなく苦肉の策でスタンドにロープを張って辛うじて席を確保。ドタバタのうちにスタートは切られあの展開に。トウショウボーイ(武邦彦騎手)がハナに立つ。敵はこれしかないと(鹿戸明騎手)テンポイントがピッタリとマーク。
テンに早いスピリットスワプスやグリーングラス、プレストウコウ(菊花賞馬)等がいたのにどれもついて行かない。馬群はそのままで内正面へ。スタンドのお客さんは総立ち。モニター等はなく接話マイクもまだない時代。つい、実況する方もスタンドマイクを握りしめて立ち上がった。このままいくと面白くない実況になるだろうナ~。の思いが頭をかすめ冷や汗。とっさに、これはファン投票のレースだ。
瞬間口をついて出たのが「あなたの、そして、私の夢が走っています」3コーナーの手前だった。
直線に向いてもそのまま。僅かにグリーングラスが差をつめてきただけ。まさにT・T・Gの結果になったあのレースで出た文句だった。
以来、次の年の宝塚記念(関西で実況していたファン投票のレース)以来、いまだに続いている46年も…。
因みに私の夢は来たことがない!
メジロマックイーンの時に武豊騎手に言われた。
「僕の馬を私の夢にしないで下さい」と冗談気味に。
さぁ、今年はどうする!乞うご期待だ。
そのうちにバレルだろう~
最後にファンの皆様、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。