1月10日(金)
清の「言いたい放題」
2025年、が穏やかに明けました。
遅ればせながら「新年、明けましてオメデトウございます」。今年も懲りずにお付き合い下さい。競馬を楽しんでいきましょう。
一体、何年、競馬をやってきたのか?
正直、思ったこともなかったが…。
キッカケは昭和36年(1961年)11月のこと。
「明日、競馬行くゾ!」のひと言で。それまでは、昭和34年卒業。学生時代にやったあるラジオ局のアルバイトが高じて世間は好景気だったにもかかわらずなんとしても放送局への気持ちが強くアルバイトでも良ければのひと言にとびついた。
1年半経ったある日、松本先輩から「アナウンサーの試験をするから受けろ。いつまでアルバイトをしてるんや、正社員にならんとあかんやろ」このひと言は流石にこたえた。
なんとか、強引にねじ込んでもらったようだ。
したがって現役卒業生2名、アルバイトから1名の3名がアナウンサーになったのだ。
その研修中の実地ということで競馬もありで競馬場へ行くことに。
そこで“縁”というか最終レースになって残るレースはあとひとつ。買うなら…の許しが出て、馬券とは、の説明を受け、なんとか買ったところ、まさにビギナーズラックというか、自分一人だけが見事に的中「これは面白い」と次の週から研修でもないのに競馬場通いが始まった。そして、昭和37年の桜花賞でまだ入社式も済んでないのにパドックを担当したのが最初。当時の編成部長もこれにはビックリされていた。
それから1年が経った昭和38年にシンザンがデビュー。最初の頃はそれ程の評判もなくただ、栗田勝騎手だけが手応えを感じているようだった。管理されていた武田文吾調教師ものちに「シンザンに謝らないと」と仰っていたし、当時、見習い騎手だった天才福永洋一さんは触れることさえ出来なかった。それが、昭和39年(1964年)、日本競馬史上初の三冠馬となったセントライト(1941年)についで2頭目の三冠馬となった。自分が初めて“生”でダービーを見たのは昭和40年のキーストンで騎手の山本さんと年齢が同じだった事から親しくなり、栗田さんとは兄弟弟子ということから紹介してもらって親しく話が出来るようになった。
栗田さんはじめ、武文一家とも親しくなり競馬のいろんなことを教えてもらった。
シンザンは我が競馬の貴重な“教科書”なんだ。
一番印象に残っているのはやはり菊花賞。泥んこ馬場の中を直線、堂々と抜けてきたのには感動した。当日、ゲストだった作家の舟橋聖一さんは「地を揺るがしてやってきた」ひと言で見事に表現された。流石だった。
19戦15勝、2着4回、3着以下なし。自分が初めて三冠馬を実況したミスターシービーはそれから19年も経っていた。
因みに13日のシンザン記念は“タイセイカレント”、アッ武豊騎手だ。嫌がるだろうな~
許せユタカ!
遅ればせながら「新年、明けましてオメデトウございます」。今年も懲りずにお付き合い下さい。競馬を楽しんでいきましょう。
一体、何年、競馬をやってきたのか?
正直、思ったこともなかったが…。
キッカケは昭和36年(1961年)11月のこと。
「明日、競馬行くゾ!」のひと言で。それまでは、昭和34年卒業。学生時代にやったあるラジオ局のアルバイトが高じて世間は好景気だったにもかかわらずなんとしても放送局への気持ちが強くアルバイトでも良ければのひと言にとびついた。
1年半経ったある日、松本先輩から「アナウンサーの試験をするから受けろ。いつまでアルバイトをしてるんや、正社員にならんとあかんやろ」このひと言は流石にこたえた。
なんとか、強引にねじ込んでもらったようだ。
したがって現役卒業生2名、アルバイトから1名の3名がアナウンサーになったのだ。
その研修中の実地ということで競馬もありで競馬場へ行くことに。
そこで“縁”というか最終レースになって残るレースはあとひとつ。買うなら…の許しが出て、馬券とは、の説明を受け、なんとか買ったところ、まさにビギナーズラックというか、自分一人だけが見事に的中「これは面白い」と次の週から研修でもないのに競馬場通いが始まった。そして、昭和37年の桜花賞でまだ入社式も済んでないのにパドックを担当したのが最初。当時の編成部長もこれにはビックリされていた。
それから1年が経った昭和38年にシンザンがデビュー。最初の頃はそれ程の評判もなくただ、栗田勝騎手だけが手応えを感じているようだった。管理されていた武田文吾調教師ものちに「シンザンに謝らないと」と仰っていたし、当時、見習い騎手だった天才福永洋一さんは触れることさえ出来なかった。それが、昭和39年(1964年)、日本競馬史上初の三冠馬となったセントライト(1941年)についで2頭目の三冠馬となった。自分が初めて“生”でダービーを見たのは昭和40年のキーストンで騎手の山本さんと年齢が同じだった事から親しくなり、栗田さんとは兄弟弟子ということから紹介してもらって親しく話が出来るようになった。
栗田さんはじめ、武文一家とも親しくなり競馬のいろんなことを教えてもらった。
シンザンは我が競馬の貴重な“教科書”なんだ。
一番印象に残っているのはやはり菊花賞。泥んこ馬場の中を直線、堂々と抜けてきたのには感動した。当日、ゲストだった作家の舟橋聖一さんは「地を揺るがしてやってきた」ひと言で見事に表現された。流石だった。
19戦15勝、2着4回、3着以下なし。自分が初めて三冠馬を実況したミスターシービーはそれから19年も経っていた。
因みに13日のシンザン記念は“タイセイカレント”、アッ武豊騎手だ。嫌がるだろうな~
許せユタカ!