「逃げろ、逃げろ弘山!」
【2000年・大阪国際女子マラソン】
アツい実況でレースに華を添えてきた関西テレビのアナウンサーたち。
心に残る思い出の実況や名シーンをお届けします。
心に残る思い出の実況や名シーンをお届けします。
大会史に残る、弘山とシモンの激闘
関西テレビアナウンサーの若田部克彦です。
私が振り返る大阪国際女子マラソン、想いでのシーンは2000年、シドニーオリンピック選考レースの弘山晴美さんの走りです。
私が振り返る大阪国際女子マラソン、想いでのシーンは2000年、シドニーオリンピック選考レースの弘山晴美さんの走りです。
この2000年の大会では、有森裕子さんが2大会連続メダリストとして出場されました。
当日は冷たい雨が降る、そんな大阪だったんですが、すごく速い記録でレースは進み、有森裕子さんは序盤の緩やかな坂の所で落ちていたったのです。
当日は冷たい雨が降る、そんな大阪だったんですが、すごく速い記録でレースは進み、有森裕子さんは序盤の緩やかな坂の所で落ちていたったのです。
最後は弘山さんとリディア・シモン選手のデッドヒートということになりました。
当時担当していた馬場鉄志アナウンサーの実況は私も何回も聞きました。
当時担当していた馬場鉄志アナウンサーの実況は私も何回も聞きました。
実況が叫ぶ…『逃げろ弘山!』
(実況・馬場鉄志アナウンサー)
『さぁ、さぁ今、弘山気づいたかどうか、後ろ!後ろ!後ろにシモンが迫っているぞ!』
『さぁ、さぁ今、弘山気づいたかどうか、後ろ!後ろ!後ろにシモンが迫っているぞ!』
『弘山!後ろからシモンが迫っている!逃げろ!逃げろ弘山!差は3秒だ!差は3秒です!迫っているぞ!』
『弘山、タイムもそうですが、シモンに勝つこと、これも一つの大きな条件になります。さぁ弘山、最後の踏ん張り。日本を代表する、日本一のトラックランナー 弘山晴美。』
ゴール前まで激闘…わずか「2秒差」で2位に
弘山さんが優勝するんじゃないか、悲願のオリンピックの代表権を手にするんじゃないか、っていうレースだったのですが、リディア・シモン選手がそれから追い上げて、フィニッシュしたときには「わずか2秒差」で弘山さんが2位に終わってしまいました。
その後のシドニーオリンピックでは高橋尚子さんが見事金メダルというのはよく知られていますが、実は2位に入ったのがリディア・シモン選手だったのです。
リディア・シモンに2秒差で敗れた弘山さん。
シドニーオリンピックに出場はできなかったんですが、もし出場していれば…もしかして、銅メダルに入ったんじゃないかなぁと。今でも思い出すような、そんな素晴らしいレースです。
シドニーオリンピックに出場はできなかったんですが、もし出場していれば…もしかして、銅メダルに入ったんじゃないかなぁと。今でも思い出すような、そんな素晴らしいレースです。