
激動の沖縄 白黒写真をカラー化で見えたこと AI・手動を駆使し着色 80年たっても変わらぬ色03月30日 09:24
子どもをおんぶする女性が表紙となったこちらの本。表紙は実は白黒写真なんです。
戦争前後、激動の沖縄を写した写真に色を付けた作品がまとめられています。
カラーにすることで見えて来たこととは。
■80年前の沖縄 激動の時代の白黒写真に色付け 「息づかいが聞こえてきそう」
神戸市内にある書店。
訪れた人たちが手にとっているのは、「カラー化写真で見る沖縄」。2月末に発売されたばかりです。
モダンな建物も多い戦前の繁華街、戦争でなくなった鉄道が走る沖縄、米軍上陸の2日目に捕虜となった住民、自ら切った首を治療してもらう女性のまなざし。
本に載っているのは、戦前、戦中、戦後の「沖縄」を映した写真。元は白黒だった写真を、AIと手動補正で色付けしています。
【京都府から来た客】「こういう昔の写真をカラーでみる機会ないので、沖縄になるとより遠くて見ることなかったので、カラーになっていると、息づかいが聞こえてきそうな感じがして、興味深いなあと思って」
■きっかけは自身の被災経験 「沖縄の激動の歴史を考えるきっかけを生みたい」
カラー化写真を手がけたのは、大阪市在住の会社員・ホリーニョさん(45)。
沖縄にはよく観光で訪れていました。
【沖縄の白黒写真をカラー化 ホリーニョさん】「コロナ禍とかよくここ散歩していて、カラー化の作業もコロナ禍でよくやってたから」
2019年から沖縄の白黒写真に色付けをして、SNSへ投稿する活動を続けてきました。
兵庫県・西宮市出身、きっかけは自身の被災経験でした。
【沖縄の白黒写真をカラー化 ホリーニョさん】「阪神淡路大震災、自分が高校1年生ぐらいの時だったんですけど。好きな映画を見ていた街が、遊んでいた街が、一気になくなってしまう体験をして、失う前のものってすごく大事だなという感覚があって。
沖縄のすごく激動の歴史をみんなでちょっと知るっていうような、“きっかけ”をどうやったら生めるんかなと思っていて。自分の場合は、白黒写真をカラー化して、みんなに発信していくことだった」
■「いまも生きてるんじゃないか」色付けによってより現実味が増す
写真のカラー化はAI技術による色付けをし、手動で補正していきます。
【ホリーニョさん】「例えば、肌色とか…ピンクすぎるなあとか補正できる」
これまで300枚以上の写真を着色。色が付くことで目につく部分が変わる写真もありました。
【ホリーニョさん】「手とか塗っていたら、『これ、兄弟で手つないでんねや』とか、お母さんとお兄ちゃんがちっちゃい子を守るようにして、おんぶして、『不安やから(手を)握ってあげてんねや』って、こういう細かいところに気づくと、ちょっとぐっと来るというか、画面の向こう側に親子たちはいまもいて、本当に生きてるんじゃないかっていう感覚ですね」
町にいる人の姿が鮮明になり、着ている服の柄などカラー化したことで、当時の生活模様も垣間見えるといいます。
■首里城に“雪” 灰が積もった景色をカラー化して伝える
3月、ホリーニョさんの姿は沖縄に。この日はともに本を出版した研究者らと、市民講座に登壇しました。
【前田祐樹さん(34)】「これは印象的ですね、これですね~。これいいですね、たまらんっすね」
戦前に走っていた沖縄の鉄道写真。「ケービン」の愛称で親しまれていました。「鉄道」も戦争でなくなった景色のひとつです。
この本では、沖縄の若手歴史研究者たちが、カラー化写真の解説を担当しました。
※監修者:戦前・前田勇樹さん(34)、戦中・喜納大作さん(41)、戦後・古波蔵契さん(34)
【ホリーニョさん】「これは首里ですね」
【“戦中”監修 喜納大作さん(41)】「首里城からの眺めですね。灰が積もっていて、(当時は)『首里、雪降ってるのかと思った』みたいな話もあって、それっぽくカラー化できてるのかなと。白っぽい灰がつもっていたので、遠くからみたら雪降ってるのかなみたいな」
【ホリーニョさん】「沖縄にふらない雪、雪景色」
■米軍が撮影している…でも「沖縄戦の中でも笑顔な瞬間があってほしい」
80年前、日本で唯一の地上戦があった沖縄。20万人あまりが死亡、県民の4人に1人が犠牲となりました。
戦中の写真は、ほぼ米軍が撮影していて、意図をもって撮影したかもしれない事に注意してほしいと言います。
【ホリーニョさん】「かわいいし、美しいし、『この笑顔はどこまでがやらせや!?』みたいな感じ。どこかで、こういう笑顔な瞬間が、沖縄戦の中でもあってほしいという、かすかな祈りみたいなものをもって、ツイッター(現在のX)にあげる」
【参加した大学院1年】「白黒では見たことはあったけど、カラー化してるものは印象的で、やっぱり地続きに昔から今につながっているんだなっていうのと、現実として沖縄戦だったり、昔の人たちの生活を感じることができた」
■色付けすることで「歴史的な向こう側ではない―」 80年経っても変わらないもの
沖縄を訪れた時には写真をもとに、実際の街を歩きます。
【ホリーニョさん】「ちょうど飛行機のむこう側が、いまのいる場所なんですけど、那覇の街が焼け野原になっている状態で、豊かな景観がすべて失われていったということを感じます。
本来であれば、戦前の方が白黒写真なので、色が少ないのかなと思いますけど、街並みが豊かだと色がついてくる。一方で、こういうふうに廃墟になっていくと、建物とかも全部、色が失われていく。当時の沖縄の地上戦で失ったものは、色だったのかなというのも思います」
“沖縄を忘れない”そんな思いで、何百枚と向き合うなかで、80年たっても変わらないものに気づけました。
【ホリーニョさん】「この写真自体も沖縄戦のすごく有名な写真だと思うんですけど、カラーにしてみると、影の位置とか、あるいは沖縄にいまもある、よく見る景観が、色を付けることでより浮き彫りになってきて、我々が住んでいる空の色と、山の色と、地面の色は、一緒のものって認識できた瞬間に、これは我々と同じ世界の中で起こった、白黒写真の歴史的な向こう側ではない」
“あの日”と同じ、焼け付くような日差し。
カラー化することでわかった、変わらない「色」 。そこには私たちと同じ「人」がいました。
戦後80年、 関西から沖縄の想いをつなぎます。
(関西テレビ「newsランナー」2025年3月25日放送)