いつ起きるかわからないのが災害。 その時、多くの子供を預かる学校で、どう命を守るのか。 過去の教訓を参考に大阪・泉大津市の小学校で模索が続いています。
■突然始まった避難訓練 「自分の命を守る」ことにこだわる校長
大阪府泉大津市立楠小学校。 いつもと変わらない休み時間でしたが…。
【校内アナウンス】「訓練です。訓練です。地震が発生しました」
突然始まった、避難訓練。 それでも児童たちは、すぐさま反応しました。
【校内アナウンス】「揺れがおさまりました。余震が続く可能性があります。すぐに運動場へ避難しましょう」
【教員】「トイレにいる人いませんか?」
トイレの中に逃げ遅れた児童いないかもチェックしました。 スムーズに訓練が進んだようにも見えますが、浅間原子校長は、気が緩んでいたことを見逃しませんでした。
【楠小学校 浅間原子校長】「自分の命を守るための訓練をずっとしているわけやんか。しっかり自分で考えて振り返ってください、きょうの訓練を」
校長が「自分の命を守る」ことを大切にする背景には、ある人との出会いがありました。
■東日本大震災の語り部として活動する女性 「自分の命を守れたら隣の人も守れる」
去年出会った、1人の女性。
【丹野裕子さん】「もし自分だったらどうしよう、自分がこうだったらどうしよう 自分事として考えて、まずは自分の命を守る。自分の命を守れたら、隣にいる大切な人の命も守れる。そんな大人であっていください」
東日本大震災の被災者、丹野祐子さん。 去年、行政の震災学習プログラムの一環で、語り部として楠小学校を訪れ、講演しました。 丹野さんはあの日、夫の両親と長男の公太さん(当時13)を亡くしました。
【丹野祐子さん】「津波が来るまで1時間6分という時間がありました。隣には娘、ちょっと離れたところに息子。2人の子供がいたはずなのに、私は息子の姿を見失っていました。気づいた時には、がれきの中に息子の姿がありました」
丹野さんが住む宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区は、震度6強の地震の後、大きな津波に襲われました。 名取市では950人以上が犠牲になりましたが、そのほとんどが、海沿いにある閖上の住民でした。(閖上:約750人)
■大阪の児童に自分の命を守ることを伝えたい 被災地を訪れ話を聞く
【楠小学校 浅間原子校長】「こんにちは」
丹野さんとの出会いがきっかけで、去年、初めて被災地を訪れた浅間校長。 ことしは防災担当の梯彩花養護教諭と、北出谷誠二郎教頭の2人の先生とともに、再び、語り部活動をする丹野さんのもとを訪れました。 大阪の児童たちに「自分の命を守る」ことを教えるにはどうしたらよいか。
【丹野祐子さん】「家が流される、ごはんを食べさせる相手がこの世から消える、全く考えてはいませんでした。なぜ悲しい話を聞いてもうか。それは、歴史は必ず繰り返すからです。決して他人ごとではない。この世で一番大事なものは命である。この場所から伝え続けたい」
現地には公太さんたちの生きた証があります。
【丹野祐子さん】「あの日、生きたくても生きることができなかった、14人の子供たちの名前を刻みました。家が流されて、写真もビデオも、母子手帳も、思い出も全部が、“がれき”という言葉に変わってしまって。直接触って、肌で感じて、ここで14人が生きていたんだよって、誰かに忘れないでいてもらおう、今はそう思っています」
■川をさかのぼってきた津波 児童70人、教職員10人が犠牲となった大川小学校へ
教師として、見ておかなければいけない場所。 石巻市の大川小学校も訪れました。 海からおよそ4キロ離れたここにも、あの日、川をさかのぼってきた津波。 先生の誘導で避難を始めた直後、児童の列を襲いました。児童70人と教職員10人が犠牲になり、今も、4人の児童が行方不明です。
■校庭で50分待機「1分で裏山に登れる」が「どこにどう行く?」
丹野さんの呼びかけで、語り部の三條すみゑさん、只野英昭さんが案内してくれました。
【この学校に通う娘が犠牲に 只野英昭さん】「がれきで一瞬でふさいじゃって、100トンの負荷がかかってなぎ倒した。それほどの威力が、あの日の川からあふれてきた津波にはあった」
小学校のすぐそばには、津波からも避難できた高さの山があります。
【この地区で息子を亡くす 三條すみゑさん】「津波が来て、山に避難した方が撮った写真がこちら。津波が来るまで、(児童は)校庭で50分間待機していましたけど、あの山まで何分で登れると思います?校庭から」
【楠小学校 浅間原子校長】「1分で行けると記事にはありました」
【この地区で息子を亡くす 三條すみゑさん】「たった1分でも、逃げる裏山があった。だから遺族は悔しい」
楠小学校の先生たちだけで、どうすれば避難できたのか考えました。
【楠小学校 浅間原子校長】「でもどうする?どこにどういく?」
【楠小学校 北出谷誠二郎教頭】「あっちから登るんじゃない?」
【楠小学校防災担当 梯彩花養護教諭】「全員登れないと思ったのか。1、2年生とか」
【楠小学校 浅間原子校長】「こっちにいく訓練、そこを通る訓練。パターンはやっぱり必要やったんやろうな」
■「正しい知識と行動で救える命がある」 何度も繰り返して防災教育を
【楠小学校防災担当 梯彩花養護教諭】「自分やったら、(山に登る)そこまでの決断ができたんかな。どれだけみんなで同じ方向を向いて動けるかというのは、難しいやろなと」
【楠小学校 北出谷誠二郎教頭】「やっぱり正しい知識と行動があれば、救える命があるんかなと。それを正しく子供たちに伝えていけたら」
【楠小学校 浅間原子校長】「迷うやろうなあ、でも…すごく迷うと思う。どうしたら子供たちを守れるか。でも一刻の猶予もないわけやから…」
あの日のできごとを、自分に置き換えて。
【この学校に通う娘が犠牲に 只野英昭さん】「南海トラフだって、川の津波の危機感を知らなければ、『ここは大丈夫だ』って被災する人がいるかもしれない。『いやここは逃げなきゃいけないよね』と逃げることが、自分の命を守る。小学生の時から、自分の命を守るためにどうしたらいいかと考えて、行動に移すまでを、何度も繰りす防災教育に切り替えていかないと」
■被災地での学びを伝える 避難訓練を増やし、屋上を使用も
楠小学校のおよそ1キロ先にも、川が流れています。 いかに自分の事としてとらえてもらうか。一週間後、浅間校長は、児童たちに伝えました。
【楠小学校 浅間原子校長】「南海トラフ地震は必ずやっていきます。実は、川というのもとても怖い。大川小学校は、海から川をさかのぼった津波と、陸から来た津波の両方が押し寄せた。地震や津波が起こったとき、どうしたらいい?どこに逃げる?」
【児童】「高いところ~!」
【楠小学校 浅間原子校長】「他は?」
【児童】「海から離れる!」
【楠小学校 浅間原子校長】「いつ起こるかわからないから。じゃあその時に、どう行動したら、自分の命を守れるのか。しっかり考えて」
楠小学校では今年度から避難訓練の数を5回に増やして、いろんな場面や状況で実施。初めて全校児童が屋上に上がる訓練も行いました。
■“抜き打ち”で避難訓練 自分で考えて命を守る行動を実践
自分で考えて、行動してほしい。 そして行われたのが、「抜き打ち」の避難訓練でした。
【5年生】「きょうは今までの訓練もあったので、スラスラと行動できるようになった。自分でしっかり行動して、自分の命は自分で守る」
【4年生】「みんなと『気をつけや』とか、話し合って行動していきたい」
【楠小学校 浅間原子校長】「どれだけ練習しても、きっとゴールはないやろうなと。振り返って、課題を見つけて、それをクリアしてという繰り返しをしながら、子供たちの気持ちも意識も、私たち教職員の意識も高めていく。それの繰り返しをずっとやっていける学校でありたいなと思っています」
自分の命を守るために。 東日本大震災の教訓を糧に、大阪でも模索が続いています。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年2月27日放送)