阪神・淡路大震災の遺族の思いを歌いつなぐ岩手の高校が、兵庫県で最初で最後の合唱コンサートを行ないました。 歌がつなぐ絆、そして思いとは。
■震災の経験を語り継ぐ大切な曲
「 響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる ふるさとのまちに
届けたい わたしたちの歌
しあわせ 運べるように 」
阪神・淡路大震災を象徴する「希望の灯り」。 その前で、歌っているのは、岩手県の不来方(こずかた)高校音楽部です。
コンクールで数々の賞を受賞し、全国有数の強豪校として知られています。
2011年3月11日に起きた東日本大震災。 岩手県は沿岸部を中心に大きな被害を受けました。 不来方高校音楽部は被災地に足を運び、傷ついた人たちの心を癒し続けてきました。
不来方高校音楽部が大切に歌い継いできた曲があります。 「にいちゃんのランドセル」。 30年前の阪神・淡路大震災で被災した家族の物語です。
米津漢之(くにゆき)くん(当時7歳)と妹の深理ちゃん(当時5歳)は、芦屋市の自宅で被災し、倒れたタンスの下敷きになって命を落としました。
突然奪われた2人の命。父・勝之さんは、悲しみを乗り越え、震災の経験を語り継ぐことを決意しました。 勝之さんが語るとき、いつも手にするのが漢之くんのランドセル。家族にとって大切なものです。
【米津勝之さん】「これがランドセルね。昔はこんなに小さかったんよ、ランドセル」
■新たな命と、背中に感じる兄の存在
震災後、米津さん家族に新たな命が授かりました。次女の英(はんな)さんと、次男の凜(りん)くんです。
小学生になった凜くんは、会ったことのない兄・漢之くんのランドセルを背負うことを選びました。
【米津凜君(2014年1月)】 「入学した4月から兄のランドセルで登校しました。友達に『汚いな』、『ぼろいな』と言われても、このランドセルには、僕の祖父や父や兄の思いが詰まった温かみがあるので、『ぼろくてもいい』と言いました。兄と姉は、心の中で永遠に生き続けて見守ってくれています」
兄弟をつないだランドセル。家族の物語は1冊の本になりました。
そして、歌にもなった「にいちゃんのランドセル」。
■岩手と神戸、歌でつながる思い
8年前、不来方高校音楽部の歌声に出会った米津さんは、「この歌を不来方の生徒に歌って欲しい」と申し出たのです。
【米津勝之さん】 「東日本大震災の被災から、いろんな被災地を訪れて、歌い続けているということを知り、こんなことをやっている高校があるのか。『にいちゃんのランドセル』という歌に、思いを乗せて歌ってくれるのでは」
指導にあたる村松玲子先生は、米津さんの思いを、歌を通して伝え続けています。
【不来方高校音楽部 村松玲子先生】 「二十何年経った阪神・淡路大震災のことをずっと語り継いでいらっしゃることにひかれた。私たちは歌うことしかできないけど、私たちが歌っていかなければいけないのではならないのでは」
■ファイナルコンサートで紡がれる新たな絆
亡くなった2人がつないだ新たな絆。 しかし、不来方高校は、この春、その歴史に幕を閉じます。 統廃合で、学校の名前が変わることになったのです。
そのファイナルコンサートのために、初めて兵庫県を訪れた不来方高校の生徒たち。
地元の高校生にも「にいちゃんのランドセル」を歌ってほしいという米津さんの思いから、神戸高校合唱部とともに歌うことにしました。
村松先生の指導にも熱が入ります。
【不来方高校音楽部 村松玲子先生】「もう少しここ、本当に大事に歌いたい」
歌を止めて、生徒たちに語り掛けました。
【不来方高校音楽部 村松玲子先生】「きょうこうやって出会えたということは、普通のことじゃないよね。こうやって私たちが神戸に来て歌うということが。一緒にこの曲を歌える。それもまた喜びでしょ。『喜びは巡ってくる』というところで声が変わりたい、心が変われば声は変わると思います」
【神戸高校合唱部 能島秀邦先生】 「自分ができることは、歌で届ける。きのうまで一緒に出会ってた人が、いきなり震災の後、その日の朝にいなくなっちゃう。本当に毎日、毎日を大切にしないとだめだなと。そのつもりで歌っていただければ」
■「思いを歌でつなぎとめる存在に」
【不来方高校の生徒】「思いを受け継いでいくというか、歌でつなぎとめていかなきゃいけないのかな。私たちはそういう存在にならなきゃいけないのかなと思います」
【神戸高校の生徒】 「私たちなりに考えた、震災への思いが届けれたら一番うれしい。震災を経験した方の心に、何か響くものがあればいいかなと思います」
■悲しみを乗り越え歌を通じて紡がれた絆
コンサート当日。 米津さんの家族も見守る中、不来方高校と神戸高校の生徒たちの歌声が会場に響き渡ります。
―― にいちゃんのランドセル ――
僕はもちろん君の生まれ変わりなんかじゃないよ
君の写真 見ていたって なんにも思い出せない
いまここにいない君が でもここにいる君が
つなげてゆく思いが たくさんあるんだ
会ったこともない 君に言うよ
そのとき確かに 君が生きていたこと
ありがとう
あのランドセル 僕がもらうよ
だって僕らは 兄弟だから
――――――――――――――
米津さんは、目に涙を浮かべながら語りました。
【米津勝之さん】 「不来方が来てくれたのは、漢之と深理が結局、呼んでくれたんじゃないか。あの2人の存在があっ、て私は父親としての思いがあって、音楽を通じて感じ取ってくれた高校生たちがいて。漢之と深理をきっかけに、不来方と神戸が幸せを運んでくれたんちゃうかなって」
阪神・淡路大震災から30年。悲しみを乗り越え、歌を通じて紡がれた絆。
これからも震災の記憶を伝え、希望を運び続けていくことでしょう。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年3月5日放送)