6月28日、熊本地方裁判所で561人が原告となり国を訴えた裁判の判決があります。
原告となっているはハンセン病の元患者の家族の人たちです。
国の政策によって「深刻な差別偏見にさらされた」と国の責任を問うています。
国の政策で「家族にも差別」
3年前、熊本で560人を超える人が国に裁判を起こしました。
原告団副団長の黄光男(ファン グァンナム)さん。尼崎から何度も足を運んでいます。
【黄さん】
「家族の被害をまともにみたら、被害がないと言えない」
「ある病気」への国の政策で、被害を受けたとして、謝罪と賠償を求めています。
その病気は、「ハンセン病」。
かつて「ライ病」と呼ばれて、患者が「一生隔離」され、酷い人権侵害を受けました。
今回、裁判を起こしたのは、そのハンセン病の元患者の「家族」です。
昭和30年代、黄さんの両親や姉妹は、岡山の療養所に隔離されました。残された黄さんは一歳から養護施設で育ち、家族と再び暮らし始めたのは9歳の時でした。
【黄さん】
「何の病気って聞いた時に、声を潜めて「ライ病」というふうに言った。とんでもなく恐ろしい病気だって思わせた」
ハンセン病は、有効な治療方法のない時代は病気が進むと、顔や手などが変形し、不治の病と恐れられました。強制隔離が始まったのは明治時代、昭和初期にはすべての患者を一生隔離する法律が作られました。
(らい病予防協会の文面より)
『癩根絶の全国的運動。聞くさへ身の毛のよだつこの病気に万一、自分なり、親戚のものなりがかかったと仮定したらどうでありましょう。かかったら最後、全く悲惨のどん底です。らい患者を隔離すれば、世の中は全く安全となります』
自治体は「患者をゼロ」にという「無らい県運動」で競いあい、身近な人からの通報を呼びかけました。見つかった患者の家は、大々的に消毒されました。家族も、感染の疑いを持たれ、結婚や就職で差別され、悲惨な事件も起きました。
黄さんは、お父さんが生前に受けた調査で、隔離の様子を知りました。
【黄さん】
「誰かがいうたんですよね、銭湯の人がもう来たらあかんと言われて。府庁からきてすーっと家じゅうを、消毒したんです。近所の人にも知られて、おられへんようなってしまうね、もう住めないから」
本当は、国の隔離政策には、医学的な根拠はありませんでした。
ハンセン病は、細菌による感染症で、死に至る病ではありません。
しかも、戦後(1947年~)は、特効薬で治るようになりました。そのころから、治った人がまれに退所することもありましたが、隔離や就業禁止を定めた法律が平成8年(1996年)まで残っていたため、社会復帰した人も過去を隠して生きなければなりませんでした。
とんでもない法律と政策だったと知れ渡ったのは、元患者が国を訴えた裁判。
平成13年に原告の勝訴判決が確定し、国は謝罪と補償をしました。
【元患者】
「明日から人間として堂々と歩いていける」
しかし、この時、家族には謝罪すらありませんでした。
実名で闘う男性「親子関係の構築しようない」
あれから18年、元患者の子供や兄弟たち561人はいま、自分たちの裁判をしています。
関西からは67人、中国四国地方からは21人が訴訟に加わっています。
国の隔離政策で、家族への差別・偏見が作り出され、増幅したのに、国が抜本的対策や被害回復をしなかったのは違法だとして、謝罪と一人当たり550万円を求めています。
【黄さん講演】
「私の母はハンセン病でした、というテーマですね、ハンセン病の問題を今からお話ししたいと思います」
黄さんは実名を公表した数少ない原告です。
原告団の副団長を引き受け、みなの思いを代弁してきました。
この裁判では、ほとんどの人が匿名で、法廷でも原告番号を使用しています。
【原告番号19】
友達からも避けられるようになり、学校でも、のけものにされました。幼な心にも、父の収容と消毒の事が集落中に知れ渡ってしまったのだということがわかりました。
【原告番号25】
親父はいないと嘘をつき続けてきました。
妻の親族や子供達の配偶者などには、父の病歴を打ち明けずにきました。
もし知られてしまった場合には理解してもらえるとは思えず、すべてが壊れてしまうのではないかという不安がぬぐえなかったからです。
秘密がばれると人生が崩壊するかもしれないという恐怖。
そして、ハンセン病のせいで自分までが差別されたと、肉親を憎み、いびつな関係になるなど、原告たちは、家族関係にも苦しんできました。
【黄さん】
「9歳から一緒に親と生活を始めたから親と子の関係できたと思われるかもしれないが、それは構築のしようがない。取り戻しようのない被害やった」
【弁護団共同代表 徳田靖之弁護士】
「今日この日において、素顔をさらすことを子供たちや孫たちのために、どうしてもできないという思いを抱えながらこの裁判をしているのを目の当たりにしながら、国が、もう社会通念上、無視できないような差別偏見はなくなったと平然と口にし、裁判の最終盤においても平然と書面に書いてくることに対する怒り。あなたたちはそれでも役人か」
裁判では国に責任を問うていますが、忘れてはならないのが、実際に差別したのは、身近な人たちだったという事実です。
【黄さん】
「市民がこの隔離政策に加担した、その責任をひとりひとりがきちんと受け止めることがなければ、差別はなくならないんですよ‥‥いつまでも家族や当事者がおびえたまま」
去年12月、すべての審理が終わった日、黄さんはこんな風に語っていました。
【黄さん】
「原告の人たちはやり切った満足感、自分たちがハンセン病問題と堂々と立ち向かった、(審理のあった)2年間はすごく価値があるものだという気がするね。判決がどんなものであれ・・・」
判決は6月28日、家族の言葉は、届くのでしょうか。