女優の河合美智子さん。
3年前、脳出血で倒れ、右半身が動かなくなりましたが、リハビリを経て、舞台や映画にも復帰を果たしました。
現在は兵庫県北部の但馬地方に拠点を移し活動している河合さんの「今」を追いました。
ここは、兵庫県三田市にある医療系の専門学校です。
学生たちの前で、講師とやり取りをしているのは、女優の河合美智子さんです。
河合さんはデビュー以来、映画やドラマで活躍し、1996年に演じた歌手・オーロラ輝子としても脚光を浴びました。
そんな河合さんが脳出血で倒れたのは、3年前のことです。
発症時は右半身が動かなくなりましたが、治療とリハビリの結果、女優として社会復帰を果たすまで回復しました。
現在は女優業のほかに、その経験を生かした様々な活動を行っていて、この日も、整形靴を作る授業でモデル役を務めていました。
【河合美智子さん】
「今、麻痺があるので、重い靴が履けなくなっちゃった。軽くてゴツいのがあると嬉しいです」
復帰したとは言え、後遺症があり、今も走ることはできません。
再発防止のため、定期的に訪れてアドバイスを受けているのは、兵庫県豊岡市にある日高医療センターです。
【日高医療センター 井垣誠さん】
「生活の中で体を動かすことはすごく大事なので、ごみ箱の数を減らすとか」
【河合美智子さん】
「あ~なるほど」
【峯村純一さん】
「きょうから俺が動かないで座るぞ、テレビの前に」
去年10月、河合さんは、夫で俳優の峯村純一さんとともに東京から豊岡市に移住し、兵庫県北部の但馬地方を活動の拠点としています。
この日は豊岡市にある会社で、夫婦で出演している地元のコミュニティFMの収録に臨みました。
【河合美智子さん】
「初めて豊岡に来た時、FMジャングルさんの録音をしていただいたんです。すごく楽しかったんですよ、その番組が。なので豊岡に引っ越したらFMジャングルで番組をやりたいってのが1つの夢だったんですよ」
【パーソナリティー 佐伯和亜さん】
「コミュニティFMですので、芸能人の方に出ていただいて、『ギャラは払えません』って言ったんですけど、地域を盛り上げる、豊岡市の力になりたいと仰っていただいて、本当にありがたいなあと思ってます」
FMの仕事が終わり、なじみの出石そばの店へ。
この店の女将とは、一緒に女子会にも参加する仲だとか。
【さらそば甚兵衛 渋谷順子さん】
「めっちゃ盛り上がってね、楽しかったんです」
【河合美智子さん】
「食べて飲んで」
【さらそば甚兵衛 渋谷順子さん】
「食べて飲んでね、言いたいこと言ってね、こことはちょっと違う顔」
移住から1年足らずという短い間で、地域に急速に溶け込んでいる河合さんと峯村さん。人の輪も既に大きく広がっていて、街を歩けば、多くの知り合いに顔を合わせます。
「自分たちの街を選んでくれはったっていうのは嬉しいです」
豊岡市へ移り住むきっかけとなった場所が、出石町にあるこの小さな芝居小屋、出石永楽館です。脳出血を発症する前の年に仕事でここを訪れた時、移住したいという気持ちが湧いてきたといいます。
【河合美智子さん】
「ああ帰りたくないなあって、ここに住みたいなあって思ったのが」
【峯村純一さん】
「ここ? 知らなかった」
【河合美智子さん】
「こないだ気が付いた。このなんていうか落ち着く感じ」
移住のひと月前に家を探しに来た時も、まずこの永楽館に足を運んだそうです。
【出石永楽館 赤浦毅館長】
「市の担当者の方から『VIP連れて行くから』って、『分かった、おるようにするわ』って言って、『ああ河合さんだ』って思って、楽しくしゃべってお帰りになられた後に、『移住するのを今悩んでるんかなあ』って聞いたら、『いや、(移住)していただけるようで』って、そうなんって」
【河合美智子さん】
「パワースポットですから。ここに来ると魂が浄化される」
河合さんのそばには、いつも夫の峯村さんが寄り添っています。病を発症してからは、荷物の運搬などが負担にならないよう、東京で仕事がある時も、峯村さんが運転する車で移動します。
【河合美智子さん】
「元々、この人運転あんまり好きじゃなくて、病気する前は私がずっと」
【峯村純一さん】
「僕は助手席に乗ってて、この人が運転していろんなところに送り届けてくれるんです。こんなに車運転することになるとも思わないですし、生活が180度変わりましたよね、ガーンて」
脳出血で倒れた当時も、努めて明るく振る舞う峯村さんの存在が、大きな支えとなりました。
【河合美智子さん】
「ICU(集中治療室)で目覚めた時も、本当に真っすぐきれいに半分だけ動かないから、これはさすがに私でも分かるなと。この人に言っても『大丈夫や、大変やな、大変やけどなんかおもろいで』みたいな感じで、あんまり重く受け取らなくてもいいのかな」
-発症4日目-
「こっちは動く。こっちは? 動かして。動かしてって言ってるでしょ。ダメ? こっちの手は。こっちの手は? かあ~」
-発症7日目-
【河合美智子さん】
「見てて」(右足を上げる)
【峯村純一さん】
「ええ!?」
【河合美智子さん】
「すごくない? 自分で上げられる」
【峯村純一さん】
「すごいじゃないか」
【河合美智子さん】
「さっきできるようになった、朝はできなかった」
【河合美智子さん】
「私はすごくこの人といるのが大好きで、だから、この人が仕事に行っちゃうとすごいつまんなかったんですよ。病気してはいるんですけど、毎日来て面白いこと言ってくれるから、すごく幸せで、病気する前より今の方が楽しいなって思ってて」
-発症5日目-
【河合美智子さん】
「峯ちゃん好きなんだもん。すごい峯ちゃん好きなんだよね、びっくりするよ。峯ちゃんいると楽しいなあ」
【河合美智子さん】
「確かに手足にまだ麻痺も残っているので、歩きづらかったりとか食べづらかったりとかしますし、走れないっていうのが一番悔しい。それはありますけど、マイナスになったんじゃなくて、違うところに行ってのゼロからのスタートみたいな感じ。しかも豊岡こんなにいいとこだし、もうあとは楽しいことしかないなあって」
豊岡で過ごす初めての夏、気心知れた新しい友人と、夜空の風物詩を楽しみました。
【河合美智子さん】
「東京ではあまり見たことがなかったので花火を、花火ってきれいなんだなあって改めて」
「あとは楽しいことしかない」、そう語った河合さんと峯村さんの人生は、ここ但馬で、まだまだ続きます。