口紅を塗って、長い髪の毛をくくり、袈裟を羽織る女性。柴谷宗叔(しばたに・そうしゅく)さん、65歳。
男性として生まれましたが、心と体の性別が違うトランスジェンダーとして長年苦しんできました。
【柴谷住職】
「(性の違和感を)親に隠して隠して苦痛だったんです。なのでそういう人たちが気軽に来れる場所を作りたい。
性的マイノリティー(性的少数者)の方の相談所」
柴谷さんが住職を務める「性善寺(しょうぜんじ)」。性的マイノリティーのための駆け込み寺として今年2月に建立。
「多様な性は善とする」という意味から「性善寺」と名付けました。
毎月最終日曜日に行われている相談会には、様々な性的な悩みを抱えた方が多く訪れます。
大阪の大学に通っている台湾からの留学生。5年前、自身がレズビアンということを周囲には公表しましたが、
まだ家族にはカミングアウトできていないことに不安を抱え、相談にやってきました。
【台湾からの留学生】
「今、台湾では同性愛や同性婚、LGBTの権利とかすごい関心が高まっていて、
性善寺の話を聞いて興味があり参加しました。もし親にカミングアウトした場合、
どうしてレズビアンをしてるの?と言われるので、どうやって家族にカミングアウトしようかなと悩んでいます」
【柴谷住職】
「自分の事を親にも言えない、学校の先生にも言えない、友達にも言えない。苦しんできたのは私にもありました。
何が普通なんと言ったら普通はないんですよ。型にはめよう型にはめようというのがあったんだけども、
人間は色んな人がいますよ、という多様性を認め合う社会が、私がずっと思ってきたことで、強制は嫌い」
40代の男性は、柴谷さんと同じトランスジェンダー。職場ではカミングアウトできずに、男性として働いています。
【40代のトランスジェンダー】
「言える職場と言えない職場がある。オープンにできない人やったらここで悩みを言えたりとか、
住職も同じ立場やから心が癒される。ありがたいです」
【柴谷住職】
「私が若い頃は(性の悩みを)表にできなくて、自分1人で抱え込んで苦しかったので、
そういう悩みを持つ人たちが、ここへ来て、ちょっとでも話する中で、ちょっとでも気持ちが楽になってくれたらと
いうことで、このお寺を開かせていただいたんですけども」
当事者だからこそサポートできる場所を…。
柴谷さん自身も、かつて誰にも打ち明けられない悩みと向き合ってきました。
【柴谷住職】
「親からは男は男らしくしなさいということやったから、親には何も話せないわよ。
何か違うのは思ってたけど、その頃、性同一性障害という概念もなかったから、自分が何者かよく分からなかった。
辛かったよ。とにかく親から離れることしか考えてなかったから」
小学生の頃から自分の性に違和感があったという柴谷さん。
大学卒業後、新聞記者として働いていましたが、周囲や家族には相談できませんでした。
転機となったのは阪神淡路大震災。当時、大阪の実家にいて無事でしたが、
神戸市東灘区の自宅が全壊しました。
【柴谷住職】
「2階部分の瓦礫を整理してたら納経帳が出てきた。ものすごく傷んでる。だけど、それを見たときに、
あっ、この納経帳が身代わりとなって命を助けてもらったと、雷にうたれたような衝撃を受けた。
そこが信仰の始まりですね。そしてお遍路友達と一緒に四国回ったりしてて、お遍路の格好が男も女もない。
(遍路が)安らぎの場になっていった」
お遍路が縁で仏教を学ぶようになり「自分本来の姿でありたい」という思いから、51歳の時に新聞社を退社。
翌年、自らがトランスジェンダーであることを公表し、僧侶の資格を取得しました。
そして、その3年後には、性別適合手術を受け、戸籍も女性に変更したのです。
柴谷さんには介護施設で暮らす88歳の母親がいます。
柴谷さんが手術する前、自らの性について、初めて打ち明けました。
【柴谷さんの母親】
「まさか自分の子供がそないになるなんてね。びっくりするわ。まさかそんな事言い出すとはね」
【柴谷住職】
「その時はもう腹を決めてたしね。だから結局、ずっと隠し通してるところで、誰かに聞いてもらいたいというのはあるわよね」
【取材ディレクター記者】
「今は認めてる?」
【柴谷さんの母親】
「認めなしゃーないやん。言うたってしゃーないしね」
柴谷さんは、性的マイノリティーへの理解を広げる活動にも力を入れています。
この日は、奈良県での講演会。「性的マイノリティは特別なことじゃない」と、強く語りかけます。
柴谷住職
「皆様のご家族の中でも、自分の子どもを娘やと思ってたのに、娘から女と結婚したいと打ち明けられたらどうします?
その時に、たじろがないでください。身内にもそういう人たちが出てくる可能性があるということを念頭において、
私たち性的マイノリティのことも多様性を認めていただきたいと思います」
自身が同じ境遇で生きてきたからこそ伝えられることがある。
全ての人がありたい姿で生きられる社会を、柴谷さんは願っています。