近年人気が高まっている古典芸能「講談」。
流暢な語り口で物語を伝えるこの芸に、元ホームレスの男性が挑戦しました。
語る内容は自分自身。その出来栄えは?
ほぼ毎日、ビジネス街で雑誌を売る男性
会場に響く講談。プロが立ったその壇上で…
【吉富卓爾さん(49)】
『時は2008年11月19日…』
講談を披露するのは、長年路上生活をしてきた男性。語るのは、「元ホームレス」である自分です。
49歳の吉富卓爾さんが生活しているのは、大阪市西成区のシェアハウス。
ほぼ毎日朝6時に家を出て向かう場所があります。大阪のビジネス街・淀屋橋です。
【吉富さん】
「路上販売の雑誌、ビッグイシューはいかがですか」
吉富さんが売っているのは、ホームレスの自立を支援する雑誌、「ビッグイシュー」。
1991年にイギリスで創刊されたこの雑誌は、ホームレスが路上で売って生計を立てるためのもので、1冊350円のうち、仕入れ値をひいた180円が販売者の手元に入ります。
【吉富さん】
「400円ですね」
【客】
「風がさわやかですね」
【吉富さん】
「風?表紙がさわやかって言うたんかと(笑)。50円お返しです、ありがとうございます」
朝から晩まで休まず都会の片隅に立ち続けて2年半。いつしか顔なじみの客もできました。
【常連客】
「そうね。すごい素朴で実直な方」
【常連客】
「(自分が)喋ると長いから、あんまりしゃべらないようにしている」
吉富さんは直筆の手紙を1つ1つ雑誌の中に入れる工夫をしていて、毎回楽しみにしている常連客もいます。
(吉富さんの手紙の内容)
『きょう声をかけていただきありがとうございます。朝もやっと過ごしやすい時期となり、クーラーもかける必要がなくなってきました』
乗り越えず…逃げてしまう人生だった
吉富さんは高校を卒業後、持病のパニック障害で、職を転々とせざるを得ませんでした。長崎の実家でもたびたび父親から暴力を振るわれ、家出をしては連れ戻される日々を過ごしました。
【吉富さん】
「なんで生まれ故郷に帰りたくないんだって。理由は嫌なんですよ。もう理由はなんでもいいんですよ。その時(父親から)言われたのは、お前都会出たらホームレスになるのが人生やでって。それでもいいわいって言ったことありますね。その後木刀で殴られましたけどね。親父から。半日くらいノックダウンしましたけどね」
最後に家を飛び出したのが13年前。東京へ出たものの定職にはつけず、ホームレスになりました。
――Q:なぜホームレスに?
【吉富さん】
「気が付けばホームレスって感じですよね。何かにぶち当たったらそれは乗り越えるんではなくて、もう一歩引いちゃうような。そっから逃げてしまう。そういった人生だったような」
人生を、『講談』を通して語る
今年の夏、吉富さんたちビッグイシューの販売者の元に一人の男性が現れました。
【玉田玉秀斎さん(42)】
「淀屋橋のところ立たれてるじゃないですか。ものすごい炎天下で。あれ毎日やってはるんですもんね」
四代目・玉田玉秀斎さん(42)。
ホームレスを講談で語る活動にも取り組んでいる講談師です。
日ごろからホームレスの生き方に関心を寄せていた玉秀斎さん。吉富さんたちと出会い、その人生を講談を通して語ってもらうことにしました。
【講談師・玉田玉秀斎さん】
「知らないことが一番怖いので、知っていただくということが理解の最初の第一歩だという気がするので、講談は知らないものを知っていただくには一番最適なツールなのかなと」
【吉富さん】
「なんとか頑張るしかないですね」
師匠にもらった名前は、ビッグイシューをもじった「玉々亭壱秀(いっしゅう)」。元ホームレス講談師の誕生です。
独特のリズム…講談の「修羅場読み」
戦いの場面を独特のリズムで読む「修羅場読み」からスタート。まずは、弟子の玉山さんのお手本です。
【弟子の玉田玉山さん】
「九郎義経頃はよしと見たから小高いところへ押しあがりました。一番一番と…」
よどみない語り口、さすがです。つづいて読むのは、吉富さんですが…
【吉富さん】
「心臓がボッコンボッコンいってます』
緊張しながらの挑戦です。
【吉富さん】
「九郎義経頃はよしと見たから高い…小高いところへ押しあがりました…一番一番と叫ばれますと…この折から水かさ増したる宇治の早瀬の何者かは…へんぱん…翩翻とひらめきわたる旗の手は…」
【講談師・玉田玉秀斎さん】
「けっこう、ひっかかりますよね」
【吉富さん】
「喉が”おい”って…(苦笑)。もうちょっと気楽にいけるかなと思ったけど、まさかこうなるとは思わなかったので、一番今までで緊張したかもしれないですね」
「ホームレス時代の体験」を講談に
初稽古から1ヵ月。この日は演目の相談です。内容は、吉富さんのホームレス時代の話です。
【吉富さん】
「(ビッグイシューが)ごはん出してくれるよって話だったんですね。食事は(ビッグイシューが)売れれば買えますから行きましょう。え、飯は?そんなのあとあとって」
【講談師・玉田玉秀斎さん】
「みなさんが面白い人生をお持ちだから。ノリノリで。ノリノリでしゃべっていただかないと」
人生の大事な場面では逃げてしまうといっていた吉富さん。
でも今回は違います。
玉秀斎さんのアドバイスを基に、吉富さんはこれまでの経験を振り返り、紙に書き出していきます。
【吉富さん】
「九郎義経頃はよしと見たから高い…小高いところへ押しあがりました…」
路上での販売の休憩中にも講談の語り口を、何度も繰り返し練習していました。
講談に、真剣に、真正面から、挑みます。
光の当たる壇上で、語りに込めた「自分の人生」
講談をはじめてから3か月。
ついに本番の日を迎えました。
~吉富さんの講談~
今から私が話すのは、ビッグイシューが生まれて初めて売れた日の一席です。
すぐそこでビッグイシュー売りますから、今から行きましょう。
コーヒーやごはんはないんですか?
ありません。稼げば何か食べられますから。早くいきましょう。
はあ、何か話違うなあ~。
会場からは楽し気な笑顔と歓声も。舞台上の吉富さんには今まで浴びたことのないスポットライトが当たっています。
吉富さん、思いをこめます。
~吉富さんの講談~
その時である。
30代の女性1人が目の前に飛び込んできて…
~吉富さんの講談~
『ビッグイシューください』
(来た!来た!お客さんだ~!)
『あの~2冊ください』
(…?、2、2冊?、600円だ!)
ビッグイシューを2冊渡し、600円を手にした。
100円玉6枚こんなに重かったかな。
~吉富さんの講談~
腹が減ったという文字はどこへやら。
600円が心に響いている壱秀であった。
これが私の生まれて初めて
ビッグイシューの売れた日の一席です。
ありがとうございました。
講談をきっかけに「前向きに、一生懸命に」
【来場客】
「私たちも普段600円を普通に手にすることが多いんですけど、路上生活者の方とこんなにも違うんだなって思いました」
【講談師・玉田玉秀斎さん】
「(当時)何をそのとき感じたかを率直に物語にしてくれて、前向きになってくださった、そして戦おうとしてくださった姿勢っていうのがすごい良くて、嬉しくて…。一生懸命生きるっていいいよなと思って」
――Q:お話しながら、聞いてるみなさんを見る余裕はありました?
【吉富さん】
「ないです。見えたのは初めだけ。その後は顔上げても人の顔は入ってなかったですね」
都会の片隅で生きている自分自身を語った吉富さん。今日も1人、立ち続けます。