破棄された死刑判決
7年前に大阪の繁華街、心斎橋で通行人の男女2人を包丁で刺し殺害した罪に問われた被告の裁判。1審の裁判員裁判では死刑。2審では犯行の計画性が低いことなどを理由に1審の死刑を破棄し無期懲役としていました。
最高裁の判断は、覚せい剤中毒の後遺症で「刺せ刺せ」という幻聴が連続的に聞こえていた被告が、事件の約10分前に凶器の包丁を購入して犯行に及んだことなどを総合的に考慮して、「場当たり的な犯行であることも否定できない」「無期懲役が甚だ不当だとは認められない」として、検察側、被告側の上告を棄却し、2審の無期懲役判決が確定することになりました。
判決後、被害者の南野信吾さん(当時42歳)の家族が記者会見し、事件当時6歳で今14歳の長女は「裁判員の人たちの気持ちが無駄になった」と話し、妻の有紀さんは「裁判員裁判が始まって10年。今回の判決で5件の死刑判決が覆りました。裁判員の民意が反映されませんでした」と述べ司法判断への不満をあらわにしました。
死刑には市民感覚ではなく別の基準
遺族の指摘の通り裁判員裁判の死刑判決が破棄され、無期懲役に減刑されて確定することになった判決は5件。最高裁は、従来の判断基準から逸脱することを認めませんでした。
そもそも裁判員制度は、市民の感覚を刑事裁判に反映する目的で導入されました。裁判員裁判では1審の裁判員の判断を上級審でも重視する「1審尊重」を原則としていますが、死刑に関しては過去の事例と公平性の観点から別の判断基準を援用します。
死刑に関しては、連続で4人を射殺した永山規夫元死刑囚に対する1983年の最高裁判決が示した死刑適用の基準、いわゆる「永山基準」があります。
①犯行の罪質
②動機
③犯行態様、特に殺害方法の残虐性
④結果の重大性、特に殺害された被害者数
⑤遺族の被害感情
⑥社会的影響
⑦被告の年齢
⑧前科
⑨犯行後の情状
…の9項目を考慮し、やむを得ない場合に死刑選択が許されるとしています。
確かに裁判を受けた時期によって、死刑の基準が異なれば、不公平であり「法の安定性」が著しく損なわれることになります。一方で、裁判官の基準を押し付けるのであれば、市民の感覚を反映させる裁判員制度は導入した意味がなくなってしまいます。
今回の最高裁判決でも「死刑は究極の刑罰であり、その適用は慎重に行わなければならない」として、永山基準を参考にした判決になっていると見られます。
問われる裁判員裁判の在り方
この10年の裁判員裁判では、市民が参加することによって検察側、弁護側双方が法廷で図解や画像、映像を使ってより分かりやすく裁判員に伝えようとし、これまでの供述調書にたよった書面中心から公開の法廷でのやりとりを重視するなど、「裁判がわかりやすくなったこと」には大きな意味があります。
裁判員制度が導入される前はプロ同士のやり取りの中で、担当する司法記者ですら理解しにくいような場面があったことも事実で、量刑面でも市民感覚が反映された判決も数多くあります。しかし、死刑か否かを問う控訴審、上告審だけは別の判断基準があるという現実。「私たちが大人になったときにまた同じことが繰り返されないためにも、裁判員裁判の意味をもう一度考えてほしい」。母の手を握りながら会見で話した14歳の長女の言葉が心に残りました。
法務省は10年経った裁判員制度について5月に報告書をまとめましたが、死刑を破棄し無期懲役を確定させた判決に対する記述はありませんでした。今こそ、この判決を含めた5件の裁判を検証し、死刑の判断に市民感覚が必要なのか、どの事件を裁判員に委ねるべきなのかなど制度の根本を見直す必要があるのではないのでしょうか。