とある取材の帰り道、神戸電鉄に乗り路線図を眺めていると、衝撃的なものが目に入った。駅名の並びが何だか変だ。
「鈴蘭台西口」の隣は「西鈴蘭台」。
うーん、さらに西寄りにあるのはどっちなんだ。
「鈴蘭台の西側の入口だから鈴蘭台西口?」
「鈴蘭台の西にある隣町だから西鈴蘭台?」
…頭で整理してみようとしたが、これはヤヤコシイ。
半分趣味みたいなものだから会社が取材と認めてくれるか微妙だが、調べてみることにした。
開業当時はハイカラな駅名だった
現場の神戸市北区へ…まずは鈴蘭台西口駅周辺で古くからある店を探してみる。
すると、パン屋さんで面白い話を耳にした。
この駅は戦前、「鈴蘭ダンスホール前駅」という名前だったそうだ。店員の女性もその時代を直接知らないものの、鈴蘭台はセレブたちが集う郊外の避暑地だったらしい。ダンスホールがあった場所は、近くにある鈴蘭台小学校だという。
学校を訪ね教頭先生にお会いした。この学校では防災教育の一環で、子供たちと地域の歴史を調べたことがあるという。
鈴蘭台は戦前、「関西の軽井沢」と呼ばれ、この鈴蘭台西口にはちょっとした歓楽街があったそうだ。ただ、ダンスホールがあった正確な場所は分からないという。
学校の写真を撮っていると、威勢のいい子供たちが寄ってきた。昔この場所に何があったか聞いてみると、「ダンスホールやろ?」と即答してきた。
戦争が始まり、ハイカラさは消えた
神戸電鉄によると、鈴蘭ダンスホール前駅は昭和11年(1936年)に開業した。駅名になるくらいだからダンスホールも繁盛したのだろうか。ただ、文献をたどるとダンスホールは昭和13年(1938年)に火災で焼失したようだ。その後も駅名はそのままだったが、日米開戦から1年ほど経った昭和17年(1942年)、「小部西口(おぶにしぐち)駅」へと改称された。ハイカラな駅名は戦時中に消えてしまったのだ。
同じ日に「広野ゴルフ場前駅」も「広野新開駅」に変わっている。神戸電鉄の担当者は、「戦時中だから、駅名に英語が入ってはいけなかったのかも…」と話す。やがて、駅名の由来となった広野ゴルフ倶楽部は昭和19年(1944年)に国の命令で閉鎖させられている。
戦後、ゴルフ場の復興を機に「広野ゴルフ場前駅」も復活。しかしダンスホールはもうないので「鈴蘭ダンスホール前駅」は二度と現れなかった。昭和37年(1962年)になって、鈴蘭台駅の西側にあった小部西口駅は「鈴蘭台西口駅」へと名を改めた。
町はベッドタウンへ…500m先に新駅が
神戸の街は狭い。戦後の経済成長と共に住宅地は不足し、鈴蘭台を含む神戸市北区はどんどん山が切り開かれ巨大ベッドタウンになった。
昭和45年(1970年)、鈴蘭台西口駅のわずか500m西側に、より大きな「西鈴蘭台駅」ができた。駅前にはバスターミナルも備え、団地もあり大きな店も建ち並ぶ。いかにも高度経済成長期の新興住宅地の駅、という印象だ。
その開業前。鈴蘭台西口駅の周辺住民によると、当時「鈴蘭台西口駅を廃止して新駅を造る」という話が広まり、存続を求める運動があったそうだ。
現在の神戸電鉄の担当者は「駅の周辺は住宅が多く、新駅までの道は急坂もある。統廃合はないと思うが…」と首をひねる。ただ、当時社内でどういう議論があったのかを示す資料は残っていないという。
鈴蘭台周辺にはこれで「鈴蘭台駅」「北鈴蘭台駅」「鈴蘭台西口駅」「西鈴蘭台駅」と、「鈴蘭台」を冠した駅が4つもできた。西鈴蘭台駅の所在地は「北五葉(きたごよう)」という地区なのだが、神戸電鉄の担当者は「新しい駅名をつけるより、鈴蘭台という名前を前面に出して、方角である“西”を付けた方が分かりやすいと思ったのでは?」と推理する。
地元では「西口」・「西鈴」と区別し共存
こうして、「鈴蘭台西口駅」と「西鈴蘭台駅」が隣り合う今の形ができた。地元では前者を「西口」、後者を「西鈴」と呼び、生活の上で支障はないそうだ。神戸電鉄にも「ヤヤコシイから何とかせえ」などの苦情は入っていないという。
これは…別の区に住む筆者が勝手にチャチャを入れていただけだったのか…少しむなしい気分になった。
取材の移動ではタクシーを使うことも多い。神戸の中心部で別の取材を終え、流しのタクシーに乗り、「神鉄の鈴蘭台西口駅へお願いします」と言ってみた。「はいー」と気前よく、迷う様子は微塵もない。さすが神戸の運転手さん、ちゃーんと分かっていらっしゃる。安心して身を委ね15分あまり。到着した場所は、西鈴蘭台駅だった。
『ひょうごののりもの』 #1 (カンテレ・報道センター 神戸支局長・鈴木祐輔)