7月18日に営まれた京都アニメーション放火殺人事件の追悼式。
会場となったのは事件現場であるスタジオ跡地で、参列した遺族の中にはこの場所を訪れることを避けてきた人もいました。
事件で命を奪われた娘のために跡地に足を運んだ遺族の一日と思いを取材しました。
あの日、この場所で、多くのクリエイターたちがアニメのキャラクターに命を吹き込んでいました。
そして今も世界中の人たちに夢や希望を与えて続けていたはずでした。
平成以降最悪となった京都アニメーションでの放火殺人事件。
36人が死亡、33人が重軽傷を負いました。
逮捕された青葉真司容疑者(42)は、自らも重いやけどを負っていて、今も裁判のメドはたっていません。
事件に巻き込まれた石田奈央美さん(当時49)
毎朝7時になると、部屋のテレビが付きます。
奈央美さんが設定し、今もそのままです。
【石田奈央美さんの母親】
「朝起きるために、目覚まし時計の代わりにしていたのと違いますか。小さい時から、赤ん坊の時から、夜なかなか寝なかった。真っ暗にしても泣きもしなかった。ごそごそハイハイして、そこら中家の中はっていた。そんな子やったんです」
色彩の仕事を担い、長年”京アニクオリティ“を支えてきた奈央美さん。
毎日、母親が作った弁当を持って出社していました。
【石田奈央美さんの母親】
「『帰ってくるときに雨降ってくるようだから長い傘持っていきや』って言うたら『ふーん』って。それだけ、それがもう最後です。朝起きてもなにも作らなくてもいいし、私ら2人だけの食事だから寂しいです。やっぱり」
2人のもとに返って来たのは、奈央美さんがあの日持っていたものだけでした。
理不尽な犯行で最愛の娘を失った悲しみ。
なかなか現実を受け入れることはできませんでした。
奈央美さんは家では、仕事のことをあまり話さなかったといいます。
事件の後、初めて娘が携わった作品を一緒に見ました。
【石田奈央美さんの母親】
「すごいな」
これまで知らなかった奈央美さんの姿を探し、過ごしてきました。
事件から1年。
追悼式はスタジオの跡地で行われることになりました。
【石田奈央美さんの父親】
「これまでは行く気もせんかったしな。時々そこらへん通ったことあるけど、絶対寄らなかった」
事件の後、現場に足を運ぶことができなかった父親。
奈央美さんのためにも向き合おうと、参列することを決めました。
【石田奈央美さんの父親】
「目にいれても痛くないほど大事な娘やったからね。ただただあの子が迷わず成仏してくれと」
追悼式では、犠牲者の人数と同じ、36本の百合が捧げられました。
現場にはテントが建てられ、かつて多くの人たちに夢や希望を与えていたスタジオはもうありません。
【石田奈央美さんの父親】
「何もなくなってすっからかんになってテント建ってて、だからピンとこないのよ、あそこにおっても。私らにしたらそのほうがよかったかもしれへんけど」
【石田奈央美さんの母親】
「そりゃさみしいですよ、いままでどっか行こうかとか言ってくれた子がもういないんやからね」
2人は1年を一つの区切りだと口にします。
それでも最愛の娘がいない生活はこれからも続きます。