嘱託殺人の罪で「安楽死」肯定する医師2人を起訴
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者に依頼され殺害したとして嘱託殺人の容疑で逮捕されていた医師2人が起訴されました。女性はツイッターで「安楽死」を望む発信をしていて、被告の医師の一人もインターネット上で「安楽死」を肯定する持論を展開していました。
「死ぬ権利」認める議論も
そもそも「安楽死」というのは薬物などを投与し患者の死期を早める行為のことで、延命措置を中止する「尊厳死」とは区別されています。「尊厳死」に関しては、1996年に京都府の京北病院で末期がんの患者に筋弛緩剤を投与し殺害した容疑で院長が逮捕された事件があり、我々のエリアでも経験のある事件でした。
一方、「安楽死」に関しては、2019年に放送されたNHKの番組で話題になった程度の認識で、海外での事例として捉えていましたが、その「安楽死」が議論となる事件が京都で発生しました。私は女性患者との面識はありませんでしたが、同じ大学の2学年上の先輩で学部も同じでした。海外の事例として捉えていたことが、いきなり身近な事件になりました。
我々の番組でも当初は「安楽死」にまつわる事件として取り上げ、1995年の東海大学医学部付属病院事件の横浜地裁判決で示された安楽死が例外的に認められる「4要件」
①耐え難い肉体的苦痛がある
②死が避けられず死期が迫っている
③肉体的苦痛を除去・緩和する他の方法がない
④患者の意思が明らか、
これらに合致するかなどをモニター画面などで説明しました。
一部の政治家からは、安楽死容認に向けた法整備が必要との声も上がり、ネットの世界では逮捕された医師を擁護する声もあります。この事件をきっかけに「死ぬ権利」を認める方向へ議論が始まることになりました。
ALS患者「私たちの生を否定しないで欲しい」
一方で、ALS患者はこの事件をどう捉えているかを取材してみるとまったく違ったものでした。特に、日本ALS協会副会長で近畿ブロック会長を務める増田英明さんのメッセージに心が動かされました。
■増田英明さんのメッセージより ※一部抜粋
私たちALS患者は、「生きたい」と強く表明しなければ生きられません。生きることが当たり前の社会で、私たちは常に生と死の間に置かれています。
社会はALSなど重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれません。私の仲間の多くは、家族に迷惑をかけたくないという気持ち、介護が不十分だから、様々な理由で人工呼吸器をつけることや生きることを躊躇いますが、それは「自己決定」として本人だけに帰される問題でしょうか。
私たちが「生きたい」といえば周りが慌てて、「生きるのがつらい、生きたくない」といえば哀れみの目でその決定が受け入れられていきます。みんなと同じように「悩み生きる」という当たり前のことが、私たちには当たり前に許されていないのです。
私の仲間は、人工呼吸器をつけて初めて旅行したとき、人工呼吸器をつけた彼女の姿を見た通りすがりの人から「あんなになってまで旅行したいのかな」と言われました。彼女にとって、私たちにとって、その言葉は人工呼吸器をつけたこと、生きることを絶望させるために十分な言葉です。通りすがりの人の言葉は、社会そのものです。
私たちが生きることや私たちが直面している問題や苦悩を尊厳死や安楽死という形では解決できないし、そうやって私たちの生を否定しないで欲しいです。いまこそ「生きてほしい」「生きよう」と当たり前のことを当たり前に言い合える社会が必要です。
患者が「生きたい」と思える社会に
事件発覚翌日の放送では、増田さんのコメントの一部をスタジオで紹介させていただきました。取材したディレクターが放送後に協会に連絡したところ「当事者が言いたくても言えない声をちゃんと伝えてくれた」と言われたそうです。
その後、メディアの報道も今回の事件は「安楽死」事件ではなく、自殺願望があった被害者の呼びかけに応じた医師が金銭を受け取り殺人を行った「嘱託殺人」でしかないという論調が目立つようになり、「安楽死」合法化の議論はおさまったように感じます。
国には人の死を手助けするような法整備をするのではなく、どうやったら「死にたい」と思っている人が「生きたい」と思うようになるか、例えば患者が使っている視線入力装置をより安価で使いやすくする、ヘルパー利用を含めた障害福祉制度を拡充するなど、患者が幸せに安心して暮らせるような法整備が求められています。
カンテレ「報道ランナー」 報道デスク・神崎博