国の誤った隔離政策によって、差別や偏見に苦しんできたハンセン病の元患者たち。
国は1年前、「元患者だけでなく家族も差別を受けた」として補償金を支払う制度を始めましたが、家族からの申請は伸び悩んでいます。
その背景には何があるのか、「ハンセン病問題の今」を取材しました。
【ハンセン病元患者・山城清重さん(78)】
「こうやってベッドが置いてあったんや。何列かにな」
ここはかつて、ハンセン病患者を隔離するために作られた施設です。
【山城清重さん】
「こんなちんけな風呂やってん。消毒風呂。もうとにかく表通ってても、(消毒が)臭う。そんなえげつない風呂」
ハンセン病は「ライ菌」に感染することで起こる病気です。
感染力は弱いものの、有効な治療薬がない時代には、顔や手が変形するなどの後遺症が出ました。
国は、1931年に「すべての患者を一生隔離する法律・癩(らい)予防法」を作り患者を次々と療養所に閉じ込めました。
山城清重さんは、10歳のとき、生まれ育った島根県からここに連れて来られました。
【山城清重さん】
「親にも会えん。兄弟にも会えん。学校の友達にも会えんて。子どものときは、みんな地獄やと思っとるで。わしなんかは地獄の島言うてた」
戦後、特効薬での治療が本格的に始まり、山城さんは19歳のときに社会復帰しました。
しかし、患者の隔離を定めた「らい予防法」が、1996年まで残っていたため、社会の中では身をひそめてしか生きられませんでした。
■社会復帰するも…家族とは連絡を取らず「迷惑がかかるかもしれない」
親しくなった人にも、療養所にいたことは言わず、ずっと一人で暮らしてきました。
迷惑がかかるかもしれないと、社会復帰してから家族には、一度も連絡しませんでした。
【山城清重さん】
「(きょうだいが)子どものときに、いじめにあってるから。あんたのとこの兄ちゃんは“らい病”って昔の名前で指摘されたんやて。島根県も(差別が)結構きつかったんや。場所によったら。(家族に)出来たら会いたいけど、でも気持ちの整理がつかん、(家族が)会いとうないんちゃうかなって。完全に忘れることはできひんで。家族も。人生歩んできているからな」
元患者だけでなく家族までもが、長い間、結婚や就職などで深刻な差別を受けました。
2016年、560人を超える人が国の責任を明らかにするために、裁判を起こしました。
熊本地方裁判所は去年6月、「隔離政策が家族への差別被害を生んだ」として、国の責任を認定。
判決で、家族の苦しみは「人生被害」と表現されました。
家族に会うことをためらっていた山城さん。
判決のあと支援者の仲介で、約60年ぶりにふるさと・島根県に帰ることになりました。
■60年ぶりに故郷へ 兄との再会「故郷に墓を」
【山城清重さん】
「兄ちゃん?キヨや」
【山城さんの兄・勇さん(81)】
「元気やったか」
【山城清重さん】
「うん、元気やった。よかった。ありがとな」
【兄・勇さん】
「どうしてるか。心配ばっかりしてた」
【山城清重さん】
「ありがとう」
【山城清重さん】
「(仏壇に向かって)おとうちゃん、おかあちゃん。帰って来たよキヨが。会いたかったけどな…勘弁してくれよ。お母ちゃん、お父ちゃん、ありがとう」
親族の中には、大人になっても差別に苦しんだ人がいたと、山城さんはあとから知りました。
国は去年11月、元患者の家族の名誉回復に取り組むとともに、補償金の支払いを定めた法律を施行しました。
山城さんの兄弟は、「補償金を出しあって、ふるさとの古くなったお墓を新しくしよう」と提案してくれました。
山城さんには、そこに真っ先に入れてあげたい人がいます。
幼い頃、養子に出て、離れ離れになった兄です。
その後、ハンセン病にかかり、山城さんと同じ療養所に入っていました。
15歳で亡くなりましたが、誰も遺骨を引き取りに来ませんでした。
【山城清重さん】
「兄ちゃん 故郷に帰るで」
療養所の遺骨を家族が引き取りにくるケースはまれで、今も、ここに、3699人分の遺骨が納められています。
■少ない“家族補償金の申請”…背景には「元患者と家族の断絶」
厚生労働省は、補償金の対象となる元患者の家族を2万4000人と推計していますが、申請数(認定済み)は、約5900件に留まっています(11月15日時点)。
申請に必要な書類を揃えるには、「元患者」や「療養所」とのやりとりが必要なため関係回復に踏み出せない家族は、申請ができないのです。
また、元患者本人が病歴を隠しているケースも多いのが、現実です。
【ハンセン病元患者の男性(70代)】
「病歴を話して、息子が嫌うんだったらそれはそれまでだけど、息子に嫁さんがいるということは、もしかして離婚に至らないかなと。そういう恐れが十分あるんでね。未だにだまっておくか言おうか、そういう繰り返し、心の格闘ですわ。まだまだ差別偏見は、法律はできても、人の心の中までは変えることはできていない」
【山城清重さん】
「兄ちゃん、キヨのマンションに帰ってきたよ。1ヵ月ここで暮らそう」
山城さんにも、まだ再会出来ていない親族が数人います。
【山城清重さん】
「家族のことはできるだけのことをしてやりたい。行くとこは元気な間にどこでも行きます」
10月末、山城さんが脳梗塞で入院したと連絡がありました。
本来なら今頃、家族そろって兄の納骨を済ませているはずでした。
元患者や家族の高齢化は進んでいます。
関係を取り戻すために、残された時間は限られています。