「地震にも負けない 強い心を持って」
この歌は、阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして、26年間歌い継がれてきた「しあわせ運べるように」です。
この歌をつくった音楽教師が、今年3月に定年を迎えることになりました。
現役最後の1月17日、そこには特別な思いが込められていました。
歌えない、歌わない、音楽の授業
神戸市立高羽小学校。
【臼井さん】
「マスク外したら声は出せない。口パクはいい。じゃあマスク外して…」
生徒はマスクを外し、口パクで歌の練習をします。
【生徒】
「(口パクで)地震にも負けない 強い心を持って…」
感染対策のため、室内ではマスクを外して歌うことが出来ません。
指導するのは、3月に退職を迎える音楽教師の臼井真さん(60)です。
【臼井さん】
「耳の不自由な人は手話だけでなく、口の形も読み取って言葉を認識する。しっかりと口を動かして伝えようと思うと、もちろん手話だけでなく、口の形もやることでより伝わっていく。表現力が高まる」
阪神・淡路大震災で臼井さんの自宅は全壊。
変わり果てた神戸の姿を見て、込み上げた感情をつづり、復興と希望の歌「しあわせ運べるように」を作りました。
震災から1か月後、避難所となっていた神戸市立吾妻小学校で初めてこの歌を披露しました。
【臼井さん】
「『地震にも負けない』どれだけ辛くてもなくなった方の思いを思えば、毎日の時間は大切にして生きていかなければならないと私自身が誓ったことであり、子どもたちにもそう思ってほしいと思って最初にこの歌詞を書きました」
東北や熊本…海外の被災地でも歌い継がれる
子どもたちの歌は被災した人々の心に寄り添い、励ましました。
26年の時を越えて震災の記憶を伝え続け、東北や熊本、そして海外の被災地でも歌い継がれています。
新型コロナウイルスの影響で披露の場が軒並み中止となる中、教師生活最後の1月17日に歌を届けたいと思っています。
【臼井さん】
「私が現役で最後に結成する合唱団でもありますからね。最後に締めくくりでしっかりと終わりにしたい。すごく子どもって希望のかたまりだと思う。子どもたちがいきいきと歌っている姿で、コロナで精神的にしんどい思いをしている人たちもそこで救われる」
歌えるのは「屋外」…貴重な練習日
1月17日まであと1ヵ月。
高羽小学校の運動場に子供たちが集まってきました。
この日は、屋外でマスクを外して歌える貴重な練習日です。
【臼井さん】
「2m間隔縮まってない?マスク外して歌えるのはここしかないから、思い切って気持ちよく。声出していいんだよ」
子どもたちの歌声が響きます。
【臼井さん】
「もっと響いていける」
声を出して歌ったのは、約10カ月ぶりのことでした。
先生と子どもたちは、冷えた体を時々踊って温めながら練習を続けます。
【臼井さん】
「色んな幸せを運んでいく」
歌える喜びをかみしめ、練習を積み重ねました。
【生徒】
「臼井先生が今年で最後だから歌も途切れさせたくない」
【生徒】
「コロナの中で生活も変わって大変だけど、合唱団として練習して本番は本気で頑張りたい」
歌を通じ、後輩の教師たちに伝える思い
臼井さんはこれまで100曲以上の歌を作りました。
小学校だけでなく、幼稚園にも歌の指導に来ています。
音楽に親しみ、音楽で笑顔になってもらうことが願いです。
震災の経験や歌を、後輩の教師たちに伝える活動もしています。
当時を知らない、若い世代が増えてきました。
【臼井さん】
「神戸は死んでいない、「大けが」しただけ。傷は必ず治る。日本中にはたくさんの自然災害でなくなった人、家族を亡くした人がいるので、『みんなの歌が心に届くように歌おうね』と言ったら、わかって歌ってくれる。」
幼稚園教諭の倉部汐理さん(25)は震災後に生まれました。
【倉部さん】
「私たち2人は震災を経験していなくて、「地震」の意味とか「大切」とか歌詞の意味を間違って認識していたところもあったので、伝えていく身なのできちんとした理解をもって子どもたちに伝えていこうと思いました」
経験していない震災を、子どもたちにどう伝えるか。
模索する中で、倉部さんは臼井さんの言葉にヒントを得ました。
この日、倉部さんは園児たちに震災についての教育をします。
【倉部さん】
「電車が走っている線路の写真なんだけど、大きな地震が来た時に線路がぐにゃぐにゃって。阪神・淡路大震災っていう大きな地震で、こんなに『大けが』をしました。だけど今はどう?家の近くとか『大けが』している?」
【倉部さん】
「今こんなにきれいになっているのは色んな人が助けてくれたり、力を合わせて頑張ってくれたりしたから今の神戸があるんだよ」
自分で学んだことを、自分なりの言葉で伝えました。
あの時の運動場で…現役最後の「1.17」
~1月17日午前5時46分 黙祷~
今年は感染対策のため、追悼行事で歌を届けることは叶いませんでした。
しかし、臼井さんと子どもたちの姿は小学校の運動場にありました。
26年前、「しあわせ運べるように」が初めて歌われた旧吾妻小学校です。
【臼井さん】
「自分がピアノを弾いて、みんなが囲んで歌う。(当時は)無我夢中で。子どもたちが避難所で歌うことしか頭になかったので、それから先の歌の広がりを思うと不思議。」
あの日に誓った想いを、子どもたちが歌い継ぎます。
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように
【臼井さん】
「ここで最後の現役の時に歌えたのは忘れられない」