20年前の2001年7月21日、兵庫県明石市で起きた歩道橋事故。
夏祭りの花火大会で11人が死亡しました。
巻き込まれた人々が事故直後から直面したのは、間違った情報や先入観からくる「誹謗中傷」でした。
いわれのない攻撃を受ける遺族。
それでも安全のための発信を続ける思いを取材しました。
兵庫県明石市の歩道橋を頻繁に訪れる男性がいます。
当時2歳の我が子を亡くした下村誠治さんです。
【下村誠治さん】
「ありがたいことですけどね。20年経っても慰霊碑を管理し続けていただいたり、やはりここにいると手を合わせてくれる人。特にこの時期はたくさんいます」
歩道橋に設置された慰霊碑。
そこに刻まれた名前には、2歳だった下村さんの次男・智仁(ともひと)ちゃんの名前もあります。
2001年7月21日、午後9時前。
ここで起きた雑踏事故で11人が死亡、247人が重軽傷を負いました。
死因は全員「圧死」でした。
【下村誠治さん】
「事故直後のことは体にも染みついているけど、ここに来ると当日の悲鳴とか全部、頭の中によみがえってくる。私にとって決して楽な場所ではない。しんどいことがよみがえってくる」
■「噴水状に人が崩れた」我が子を守るため「手すり」の中に入れるも…
歩道橋は、駅と海岸をつなぎ、長さは100m。
20年前の7月21日、歩道橋の南側にある大蔵海岸で明石市が夏祭りの花火大会を開きました。
下村さん一家は、この祭りに行こうと午後7時半過ぎに北側に到着しました。
【下村誠治さん】
「祭りの賑わいは普通だと思う。他の神社での祭りでもそうだけど、それなりに人が集まるのは当たり前」
下村さんによると、当時、花火大会の現場では、「歩道橋に向かってください」との放送が流れていて、警備員が、歩道橋の中に入るように誘導していたということです。
下村さんは、智仁ちゃんを肩車してゆっくりと進み、約15分で歩道橋の真ん中あたりまで来ます。
そのころ花火の打ち上げが始まりました。
【下村誠治さん】
「花火が上がるのが見えて、子供の最後の言葉が『花火きれい』だった。そこからが地獄です」
花火を見ようと、来た方向から誘導され入ってくる人々。
しかし、前方の人の流れは止まっていました。
【下村誠治さん】
――Q:引き返せる状況でしたか
「いいや、それは全然無理ですね。花火が始まって15分ぐらいした時ぐらいから、小さい浴衣着ている女の子たちが失神し始めました」
次第に異常な密度になっていく歩道橋。
危険を感じ、手すりの中に智仁ちゃんを入れた後も、状況は悪化する一方でした。
【下村誠治さん】
「まず(自分の)ろっ骨が折れたのが分かりました、体の中で骨が折れるというのは、自分にはものすごく聞こえます。最初は暑さで頭がもうろうとしてきて、(骨が)折れる痛みが加わって、最終的に自分の体は人任せ、流れ任せだった」
そして、歩道橋に入ってから約1時間後の午後8時半ごろ、花火終了とともに海岸では歩道橋から帰るようアナウンスが流れ、人がさらに歩道橋に。
人の密度は「1㎡あたり15人」という異常な状況になっていたとみられます。
そして、そのバランスが崩れた時…
【下村誠治さん】
「倒れる、というのではない。噴水状に人が崩れた。前を見たら、足とか顔とかが壁みたいになっていた。高さは2mぐらい」
圧迫された人があらゆる方向に崩れる「群衆雪崩」が2回発生したのです。
下村さんは、1回目に巻き込まれた人たちの救助にあたります。
そのさなかに起きた2回目の群衆雪崩は、智仁ちゃんがいた場所を襲い、頑丈な手すりは変形していました。
【下村誠治さん】
「救助作業を始めた時に自分の子供を見つける羽目になった。その時には、手すりが曲がって人がなだれ込んでいた。(手すりに)足が入ったり、頭が入ったりしている人もいた。誰がうちの子の上に乗っていたのかという問題ではない。あれは(そこにいた)誰にも防げなかった」
警備担当者は、この場所に人を誘導し続け、事故が起きるまで入場制限をしていませんでした。
「夜店に行ったらたくさん食べさせて」と言っていた智仁ちゃんは、行くことができないまま、命を失いました。
■遺族に繰り返される、いわれなき「誹謗中傷」
下村さんが向き合わなくてはいけなかったのは、我が子を失った悲しみだけではありません。
【下村誠治さん】
「事故の後、歩道橋に貼られたやつですね」
カレンダーの裏に手書きされた、名指しの文章。
事故後、智仁ちゃんが亡くなった場所のアクリル板に貼られていました。
さらに当時設置されていた記帳台に置かれたノートにも、追悼のメッセージだけではなく、「親が悪い」「恥を知るべし」など、親を非難する内容が書かれていました。
知らない相手からの電話も相次ぎました。
【下村誠治さん】
「(電話の相手が)『酒飲んで…』と言っているのは分かったんだけど、僕お酒一滴も飲まないので。傷ついていないと言えばうそになる。落ち込んだこともある。最初の頃は、ものすごくこたえた。一番自責の念を持っている我々に、『連れて行った者が悪い』というのは、もう1回包丁を突き付けられるような。自責の念を持たない遺族はいない」
■深刻化する被害者への「攻撃」…不確実な情報や先入観で
不確実な情報や先入観から被害者を「攻撃」する。
その状況は、さらに深刻になっています。
福島県の猪苗代湖で2020年起きた死亡事故のニュースに対して、インターネット上では、「親が馬鹿」「親に重大な過失がある」などと書き込まれました。
水上レジャーを楽しんでいた親子ら4人が水中で待っていたところ、猛スピードのモーターボートに巻き込まれ、8歳の男児が死亡。
猪苗代湖は、沖合300m以上では船舶の自由な航行が認められていますが、事故現場はそれよりもずっと岸寄りで、モーターボートには徐行の義務がありました。
しかしインターネット上には、「沖合300m」・「船舶航行区域にいた」として家族への非難が相次いでいます。
こうしたいわれのない非難は、20年前とは比べ物にならないほど広がっていきます。
【下村誠治さん】
「(歩道橋事故直後は)電話、一日多い時で20本ぐらいだった。今は何千も何万も広がる。被害者の傷に塩を塗るようなことをしない社会にしないと。そうじゃないと、いつまでも無責任だったら、一つも教訓として残らなければ、事故が繰り返される」
■歩道橋の現場で職員の研修を実施する明石市 下村さんも協力
今年の7月21日。
かつて祭りを主催した明石市は今、歩道橋の現場で新しい職員の研修を実施し、下村さんも協力しています。
今年は、智仁ちゃんと同じ年に生まれた若者が中心です。
【下村誠治さん】
「若い世代の方、特に歩道橋事故を知らない方の方が多くなってくる。僕らの課題は、その子たちに、事故の教訓というより、安全とか安心を伝えていくことが役目だと思っています」
「活動すれば誹謗中傷が来る」
その理不尽な現実を知った上で下村さんは語り続けます。
【下村誠治さん】
「遺族の多くが『風化させたくない』という言葉にしか表せていないけど、それは『同じ事故を起こしてほしくない』ということ。これは『社会のため』じゃない。もし同じことが生きている間に起きたら、もう一回僕らも苦しむことになる」