西成の日雇い労働者支えた「あいりん銀行」 60年の歴史に幕 残高3.2億円超の持ち主見つからず…元利用者「この街のために使って」 2022年03月31日
かつて、大阪市西成区の「あいりん地区」で、日雇い労働者がお金を預けていた通称「あいりん銀行」。
3億円余りの預金が元の持ち主に返されぬまま、31日で、清算業務を終えることになりました。
■日雇い労働者のための銀行
大阪市西成区にある「あいりん貯蓄組合」、通称「あいりん銀行」。1962年に大阪市が開設しました。
一般的な銀行との違いは、お金を預かる仕組み。日雇い労働者が預けたお金は、組合を通じて別の金融機関で管理します。
日雇い労働者の街と呼ばれた「あいりん地区」。1986年には、およそ2万4000人の日雇い労働者が暮らしていました。
日雇い労働者が生活の拠点にしていたのは、1泊数百円から千円程度の簡易宿泊所。
住所を持っていないため、多くの日雇い労働者は銀行口座を作ることができませんでした。
そこで、大阪市は1962年簡易宿泊所暮らしでも、口座を作れる「あいりん貯蓄組合」を開設。
貯蓄をして、その日暮らしの生活から抜け出してもらうのが狙いでした。
【当時の利用者】
「ドヤより、ちょっとでもアパート借りたいと思いましてね。アパートの資金が欲しかったために5万円ぐらいやったら」
1991年の預金残高は、およそ11億5000万円。
年間の取扱件数も8万件を超え、まさに日雇い労働者のための「銀行」でした。
かつて日雇い労働者として「あいりん貯蓄組合」を利用し、今は、労働者を支援する活動をしている山中秀俊さんは、当時をこう振り返ります。
【元利用者 山中秀俊さん】
「日当が6千円とか6500円ぐらい。1日に生活できる食事代、ドヤ代除いてとりあえずは(銀行にお金を)入れると。日当をもらって帰ってきますけど、どうしてもそれを使っちゃう。今度、仕事がない日があるので、そういう時に困っちゃうんで」
■日雇い労働者も減少…閉鎖された銀行 持ち主見つからず
設立から、60年。時代は「日雇い労働者の街」姿を大きく変えました。
街のシンボルだった日雇いの求人や求職をあっせんする「あいりん総合センター」も、建て替えのため2019年に閉鎖。
日雇い労働者は、今ではおよそ550人まで減っています。
2012年、大阪市は、あいりん貯蓄組合を廃止。
口座に残された4億3900万円の返還作業を始めました。
【記者リポート】
「利用者が減少したため、大阪市は10年前から払い戻し業務を行ってきましたが、その作業も3月末で終了します」
2月末時点で、およそ6万口座、あわせて3億2600万円の持ち主が見つかりませんでした。
【大阪市自立支援課 舟橋豊課長】
「分かる範囲で解約勧奨をしてきたが、宛先に送っても、すでにおられないというので、解約がなかなか進まなかったと考えている」
大阪市は、債権の消滅時効を迎える31日で、清算業務を終え、3億円余りの残高は、市の一般会計に計上される予定です。
■元利用者「残高はこの街のために使って」
ことし1月、山中さんは、所属する支援団体の名義で、組合の残高を労働者の自立支援などに充ててほしいとした要望書を大阪市に提出しました。
【山中さん】
「家族がいれば家族が管理するでしょ、でもここでは1人なんでね。ここの労働者が汗水たらして、働いて貯めたお金なんで、ぜひともこの街のために使ってほしいと思います。いろんな問題がこの街には山積みなんで」
大阪市の松井市長は、「労働者の皆さんが積み上げてきたお金なので、あいりん地域で労働者のために使う形を作っていきます。その詳細を今考えてます」と話しています。
60年の歴史に幕をおろしたあいりん貯蓄組合。
「労働者の街」の象徴がまた1つ、この街からなくなりました。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年3月31日放送)