中国からやってきた世界的な文化財が、酔っぱらいに破壊される…
39年前の大阪で実際に起きた、とんでもない事件です。
危機的な状況から「友好関係」を生み出した、若き技術者たちのストーリーを紹介します。
■20世紀最大の考古学的発見 始皇帝陵の「兵馬俑」
日本の古都・京都。美術館に並ぶのは、等身大の陶器の兵士、馬、そして高さ196センチの将軍です。
古代の兵士たちが眠っていたのは、京都からおよそ2400キロ離れた中国のかつての都、西安にある「始皇帝陵」。
紀元前221年、中国を始めて統一した秦の始皇帝の巨大な墓です。
始皇帝がこの世を去ってからおよそ2200年。
墓からおよそ1.5キロ離れた果樹園で、農民が驚くべき発見をしました。
「20世紀最大の考古学的発見」といわれる世界遺産・兵馬俑坑(へいばようこう)です。
兵馬俑は、来世でも始皇帝を守るようにと埋められた陶器の人形で、その数は推計8000体。
実在の人物がモデルになったとされ、どれひとつとして同じ顔はありません。
■京都で「兵馬俑展」 コロナの影響で1週間遅れの来日
京都市京セラ美術館で5月22日まで開かれている「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~」。
展覧会が始まるわずか6日前の3月19日、兵馬俑は当初の予定より1週間遅れて到着しました。
現場で兵馬俑を置く位置などを調整する、日中文化協会・専務理事の唐啓山(とうけいざん)さん(59)。
日中国交正常化50周年を記念した「兵馬俑展」発案のキーマンです。
実は、新型コロナの影響で兵馬俑やスタッフを運ぶ飛行機の手配が難航し、一時は展覧会が開けない恐れも浮上していました。
【唐さん】
「中国側のスタッフは、もし出発が4時間ぐらい遅れていたら、もう出国できなかった。住んでいる地域が封鎖されて大変苦労しましたが、日中両政府にも努力していただいて、ビザを特別に発行していただきました」
北京大学で考古学を学んだ唐さんは、卒業後、日本人女性との結婚を機に来日。
日中友好の架け橋になりたいと、30年以上にわたってさまざまな展覧会を催してきました。
【唐さん】
「日本は私の第2のふるさと、日本のことも文化も大好きです。日中両国のお互いの信頼度が落ちている部分は事実ですから、こういう時期こそ、民間の文化交流は本当に大事だと思います」
展覧会には、秦の兵馬俑を中心に、古代中国の貴重な遺物およそ200点が集められました。
始皇帝の中国統一への戦いを描く人気マンガ「キングダム」に通じる武器や生活品も展示されています。
【訪れた中学生】
「自分が軍隊の中にいるような、進軍するところを横で見ているような感じです。臨場感があります」
無事開催に至った令和の兵馬俑展ですが、実は39年前、未来永劫に兵馬俑の来日がなくなりかねない大事件が発生していました。
■1983年11月22日、酔っぱらいが起こした大事件
1983年の秋、大阪。
当時開かれた「大阪城博覧会」で、兵馬俑は関西に初めて上陸しました。
連日4時間待ちの大行列と、大盛況の兵馬俑館でまさかの事態が起こりました。
【目撃した人】
「ここに兵馬俑があるわけよ、これを曲がって、ここまで来た時に『ガチャーン』と倒れかかったわけよ」
――Q:音がして、振り返ったらどうなってたんですか?
「振り返るも何も、見た。倒れるところを」
酔っぱらった30代の男が、高さ192センチ、重さ160キロの兵馬俑を押し倒して破壊したのです。
当時、日中国交正常化から10年がたった両国の関係にも、亀裂が入りかねない一大事でした。
■修復の話は突然に 突きつけられたリミットは「4日」
京都市埋蔵文化財研究所の技術者だった平尾政幸さん(70)と岡田文男さん(68)。
兵馬俑修復の話は突然舞い込んできました。
【岡田さん】
「5時まで仕事をして、そのあと隣のラーメン屋さんでラーメン食べてたら(兵馬俑が破壊された)ニュースが流れてきてね、へぇ壊れたんやぁと思って」
【平尾さん】
「まさか自分に話が…」
【岡田さん】
「どうするんだろうなぐらいに思ってたんですよ」
突如任せられた重大任務。
しかも彼らには、守らなければならないリミットがあったのです。
【平尾さん】
「中国から(兵馬俑館を)見に来る“ちょっとえらい方”がいるんで、という。できるだけ短時間で直せということやった」
1983年11月25日から始まった修復作業。
修復には、最低でも10日かかると言われていました。
しかし、中国共産党のナンバー2が訪れる日は11月28日。
残された時間は4日しかありませんが、壊れた兵馬俑を見せるわけにはいきません。
日中友好の命運は、日本と中国あわせて6人の若き技術者たちに託されました。
■日中友好の使命 壁は「時間」と「接着剤」
粉々に砕け、180以上の破片となった古代の兵士。
中国から派遣された3人の専門家が、破片をつなぎ合わせるべく必要な資材を持ち込みました。
しかし、そこに思わぬ落とし穴がありました。
【平尾さん】
「中国の樹脂(接着剤)の質自体がそんなによくない」
【岡田さん】
「強度がなくて粘度が低いので、すごくシャブシャブの、薄い薄い被膜しかできなくて」
岡田さんは保存科学のスペシャリスト。
兵馬俑に最適な樹脂の接着剤を選び抜き、胴体の内側をガラス繊維で補強しました。
土器修復のエキスパートとして参加した平尾さんとともに、中国の専門家も初めて目にする世界最高レベルの修復技術を駆使しました。
夜を徹して行われた、日中の技術者の共同作業。
言葉の壁は、大きな問題にはなりませんでした。
【平尾さん】
「漢字の筆談と簡単な英語で」
【岡田さん】
「目標が一緒、ゴールが一緒だから。別に言葉がなくたって、全く別のことはしないんです。言葉がなくても、やることは一緒なんです」
共通の使命。
言葉は通じなくとも心が通じ合っていました。
そして、修復作業開始から4日目の11月28日、中国共産党のナンバー2 胡耀邦総書記(当時)が兵馬俑館を訪れました。
■時間切れも・・・「けがの功名」
けれどそこに、あの兵馬俑はありませんでした。修復は間に合わなかったのです。
修復が完了したのは、その日の深夜。
しかし、10日かかると言われた作業を4日で終えたその早さは、日中両国の政府関係者に衝撃を与えました。
修復後、報道陣にお披露目された兵馬俑。
当時修復にあたった中国の専門家は、記者団に対して熱く語りました。
【中国の専門家 雷从雲(らいそううん)さん】
「1人の悪党に兵馬俑が破壊されようとも、日中の国民の友情と文化交流が破壊されることは、絶対にない」
友好が深まった世紀の修復。「けがの功名」と言われました。
■39年後の再会 途切れなかった文化の「絆」
あれから39年。
平尾さんと岡田さんは京都市京セラ美術館を訪れ、古代の兵士たちと再び対面しました。
2人を迎えたのは、展覧会の仕掛け人・唐さん。
当時修復にあたった中国の専門家たちは、唐さんの知人でした。
39年前、日中の技術者たちは、兵馬俑の修復後に小さな打ち上げをしたそうです。
「みんなで一杯飲みませんでしたか」という唐さんの問いかけに、「ああ、飲みました」と平尾さんたちは懐かしそうに笑います。
【唐さん】
「みなさんのおかげです、本当に。展覧会を続けてできてるのは」
【岡田さん】
「日本の方も、西安まで兵馬俑を見に行かれたらいいなと思います。交流がどんどん深まっていったらいいなと」
39年前、酔っぱらいによってもたらされた古代の兵士の“危機”。
若き技術者たちが力を合わせて乗り越えた文化の絆の歴史は、時代が移り変わろうとも、途絶えることはありません。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年5月2日放送)