1997年、神戸で起きた連続児童殺傷事件。
当時小学生だった男児が殺害されてから、5月24日で25年となります。
社会を震撼させた当時14歳の加害者、「少年A」から遺族への手紙は途絶えています。
加害者「少年A」は、事件、そして被害者に向きあっているのでしょうか。
■社会を震撼させた14歳少年による殺傷事件
1997年5月、社会を震撼させる事件が起きました。
神戸市須磨区の中学校の校門前で3日前から行方不明になっていた男の子の頭部が見つかりました。
現場には挑戦状が残され、その後、新聞社に声明文が送り付けられるなど、事件は異様な経緯をたどりました。
殺人などの容疑で逮捕されたのは14歳、少年Aでした。
少年Aはこの事件の前に小学生4人を殺傷していて、一連の犯行は「神戸連続児童殺傷事件」と呼ばれるようになりました。
【当時の記者中継】
「残忍な犯行、用意周到な計画、大胆な声明文の送り付けと、どれをとっても中学生にこんな犯罪が出来るのかと思います。それを明らかにするには、なぜこの中学生が淳君を殺害したのか、その動機を解明することが一番の近道と言えます」
少年Aに殺害されたのは、当時11歳だった土師淳君。
医師、土師守さんの次男でした。
少年Aは、淳くんの友達の兄、顔見知りでした。
当時の法律では、14歳は年齢が低すぎることから刑事処分の対象にならず、少年Aは、医療少年院送致の保護処分となりました。
母親との関係から生じる「愛着障害」や「性的サディズム」などが彼の問題と考えられました。
医療少年院で6年余り、精神科医ら専門家の治療と教育を受けました。
■事件について語るのは「絶対してほしくない」
【法務省関東地方更生保護委員会】
「きょう、仮退院いたしました。時間は9時5分でございます」
2004年3月10日、法務省関東地方更生保護委員会から土師さんのもとに仮退院の連絡がありました。
遺族への通知は前例がない出来事でした。
この日、土師さんは初めて記者会見をしました。
――Q:事件について彼が何らかの媒体で語る、それについて彼が報酬を得るということも今後考えられるが
【土師さん】
「それについては絶対してほしくないというのは私たちの思いです。これはたぶん妻も子供もそう思っていると思います」
■一度も姿を見たことのない「A」からの手紙
Aは仕事をし、アパート暮らしを始めていました。
しかし、一年半が過ぎたころ、支援者の前から姿を消し消息が分からなくなりました。
土師さんは被害者遺族でありながら、これまで一度もAの姿を見たことはありません。
当時は少年審判を傍聴することは、一切認められていませんでした。
Aとの唯一の接点となったのは、命日を前に毎年届くようになっていた「謝罪の手紙」。
事件の真相を知りたいという思いで、土師さんはその手紙を読んできました。
【土師守さん】
「唯一、彼とつながっていることだったと思うし、彼からの手紙を読むというのは非常に労力が要ることで、精神的にもきつい作業になるんですね。ですから、悪意を持って見るんじゃなくて、できるだけ良く理解しよう、いいふうに取ろうというふうに考えながら、読んでいました」
土師さんは、事件翌年からメディアの要望に応じて手記を公表しています。
24年分の手記には、土師さんの心の変遷が見えます。
Aからの手紙を無視することはせず、「変化」や「成長」という言葉で感想をつづってきました。
それは30代になったAにも、届いていたはずでした。
Aの両親の代理人、羽柴修弁護士は、Aからの手紙を被害者遺族に取り次ぎ、損害賠償の支払いなど、神経の磨り減る役割を25年間、無償で担ってきました。
【羽柴弁護士】
「その間も私、毎年かかわっていたので、その時期がくると毎年毎年…ね。少しずつ短い手紙が長くなって段々、段々と2013年14年ときた」
2015年の手紙は特別でした。
土師さんは、事件の原因を「彼なりの言葉」で明らかにしたと受け止めました。
ワープロうち、37枚という膨大な量の手紙。
それは、遺族にだけ明かした「秘密」に思えました。
【土師さん】
「夫婦でこれ以上の彼の言葉は難しいのかなと判断して、『ここらへんで、まあ、区切りをつけようか』というような形の気持ちにはなりました。手紙を信じることにすれば、それ以上読むっていう作業はしなくて済みますので、一つの大きな区切りにしてもよかったのかなというふうには当時は思っていました」
■Aが告白本を出版 踏みにじられた遺族の気持ち
しかし、1カ月後、その気持ちは踏みにじられます。
Aが「元少年A」という匿名で告白本を出版したのです。
その中には性的サディズムの入り口となった体験、祖母の遺影の前での性的体験について書かれていました。
それは、土師さんが受け取った手紙の中の文章と同じものでした。
【土師さん】
「彼の心のうちはわかりませんけども。少なくとも、私は本を読んでいませんが、本を書いた後に手紙に圧縮したのだと言うふうに思って、自分自身で思っていますけどね。当然、本を出すっていうことは脚色もしますし、どういう風な形で出すかっていうのは書き手の思うようになるので、それを信じるというのは難しい話ですよね」
――Q:更生の教育はうまくいったと思っていらっしゃるんですか?
【羽柴弁護士】
「今?それは思えないですよね。残念ながら。彼は志半ばで、すんでのところまできて、足がかかり始めたときに、下ろしちゃったんですよね。大事な階段を上り始められたのに。土師さんや(もう一人の遺族)山下さんがそう思ってくれたということについては…。糸口が見えたわけですよね。もうちょっとで。それを自ら、放り出してしまった」
告白本には、手紙は「贖罪の気持ちだった」とありました。その手紙はもう、5年届いていません。
――Q:元少年Aに伝えることが出来るなら何を伝えたいですか?
【羽柴弁護士】
「難しいね…下世話というか、ちゃんと生きているのかということと、本を出したことで、せっかくみんなの、いろんな人の協力、いろんな人が彼に関わってきたわけなので、そのことを、分かっていてくれているのかどうかですよね。ちゃんと生きているなら同じこと(手紙を出すこと)をもう一度一からするしか、仕方がないのでは。39歳でしょ…まだ。まだ、やろうと思えばやれないことはないですよね」
――Q:手紙をしばらく拒否されていましたけど、届くようになったら読む可能性はありますか?
【土師さん】
「もちろんあります。いつまでも読まないっていうことがないですので。こちらが読む、読まないに関わらず、書くということが重要だと言う風に思っていますので、彼にしてほしいと希望しています」
Aは、まもなく40歳。
事件と向き合うために、Aが手紙を書き続けることを土師さんは求めています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年5月23日放送)