【忘れない】明石歩道橋事故の報道映像をYoutubeで振り返る
2001年7月21日、兵庫県明石市の大蔵海岸で花火大会が開催された夜、会場につながる歩道橋で大きな事故が起きました。歩道橋上の異常な混雑によって「群衆雪崩」と呼ばれる大規模な雑踏事故。「1㎡に15人」という過密状況が生まれ、立ったまま失神する人、人の圧力で骨が折れる人も続出する悲惨な状況でした。
この状況のなかで起きた転倒で、子ども9人とお年寄り2人のあわせて11人が死亡し、247人が重軽傷を負いました。
巻き込まれた人たちは、人出がまだ「賑わい」程度の段階で警備員に誘導され歩道橋に入っていました。
これが次第に「異常な混雑」に変わっていったのです。この混雑を生み出したのは、計画段階で雑踏警備を軽視し、当日も危険な状況に対応しなかった“ずさんな警備体制”でした。事故の後、裁判となって、祭り会場で警備にあたっていた明石警察署の幹部や警備会社の支社長など5人が業務上過失致死傷の罪に問われ、全員が実刑を含む有罪判決を受けます。
しかし、計画段階から当日まで、警備を統括するべき立場にあった明石警察署の署長や副署長については、不起訴に。明石警察署は監視カメラで歩道橋を含む会場を監視していましたが、捜査にあたった神戸地検は「危険な混雑だとは思わなかった」と話す2人の主張通り、「責任を問えない」と判断したのです。
この判断を不服とした遺族は、検察の不起訴が妥当かどうかを市民が審査する「検察審査会」に不起訴不当の申立てを行い、その結果、2度の検察審査会の「起訴相当」議決によって、全国で初めてとなる「強制起訴」が2010年に実現します。
この段階で当時の署長は死去していたため、実際に「強制起訴」されたのは副署長だけ。2012年から始まった裁判では、署長の言動や判断が雑踏警備の縮小などにつながり、計画段階の不備と事故の因果関係は「否定できない」などとされました。
しかし、副署長個人の刑事責任については「権限が限られていた」などとして、事実上の無罪にあたる「免訴」が確定しています。
あれから21年がたちました。この夏、事故で死亡した被害者の遺族らが中心となって、事故や活動の記録を本にしました。7月21日に出版されたこの本には、遺族が経験した事故の克明な状況、全国で初めて検察審査会の議決による「強制起訴」を実現した活動などが記されています。
【2人の子供を亡くした有馬正春さん】
「一人でも多くの方に知っていただきたいから、この本をぜひ手にとって頂いて、こんな悲しい出来事があったんだと知って欲しい」
遺族は長期間続いた刑事裁判だけでなく様々な形で事故と向き合って来ました。
祭りを主催した明石市は職員の半数以上は事故後に入庁。事故を直接知らない職員が増えています。遺族は市と協力し、講演などを通じて安全の大切さを伝え続けています。また、事故後、様々な苦悩に直面した経験から、国が行っている運輸事故の被害者支援に協力。事故の被害者支援を行う取り組みを支えています。
「子どもに花火を見せてあげたい」「夜店に連れて行ってあげたい」
その思いで訪れた花火大会で家族を失った人々。「二度と同じ苦しみを生まないために」。その思いから活動は21年後の今も続いています。