倒壊した阪神高速で“落下しなかった”バス 震災から28年…乗車の運転手は『安全第一』で今も運転中 “あの時”の写真…「僕のお守り、ずっと待ち受け画面にしています」 2023年01月13日
1月17日で阪神淡路大震災から28年を迎えます。あの瞬間、切断された阪神高速道路から奇跡的に落下を免れたバス。その時に乗車していたドライバーは今もバスを運転し続けています。“生かされた命”と語るその思いとは・・・
新入社員の指導を行っている男性…
【帝産観光バス・運転手 安井義政さん(61)】
「走るときは、すぐ止まれるような速度を心掛けてもらって」
安井義政さん(61)。帝産観光バスの運転手として長年ハンドルを握り、新入社員の指導も担っています。そんな安井さんが今でも思い出すのは入社2年目の時。先輩のドライバーと交代しながら、長野からスキー客を乗せ神戸に向かう道中でした。
【帝産観光バス 安井さん】
「ここに座ってそしたら急に地震が起きたので、『えっ何が起きたんだ』と自分の中では全然分からない。『何これっ』ていう感覚なので、横揺れがすごくて今度は縦揺れになるし、止まっていたのか、止まったと同時に落ちたのか、揺れているから自分の感覚が分からない」
■あの日、大きな揺れ…巨大建造物も次々に“倒壊”
1995年1月17日。阪神淡路大震災で、阪神高速は道路が635メートルにわたって横倒しになりました。
【当時の空撮リポート 】
「トラックが数台、橋げたと同時に転覆しています…このような状態が数10メートル続いています、橋げたも無残な姿を見せています」
【当時・阪神高速倒壊現場での記者リポート】
「こちらは阪神高速の西宮本町のあたりです。高速道路なんですが、2回にわたって折れています。滑り落ちた車が何台も焼き焦げています。…ご覧ください、バスが半分飛び出して今にも落ちそうになっています」
乗車していた安井さんは、先輩がハンドルを握る横で、前から道がなくなるのを目の当たりにしました。
あの時の現場で安井さんに“当時の様子”を伺いました。
【帝産観光バス 安井さん】
「ちょうど橋桁が引っ付いている所でそれが落ちたんです。(先輩が)「やっちゃん(安井さん)ブレーキがきかない」って言っていましたけど、ずっと揺れていましたから…揺れが収まったと同時にガサっと前の道が落ちたような感じだと思う。お客さんにも『何があったんですか?事故でもあったんですか?』って聞かれたので『事故ではない、もう道がないので前も後ろもいけないので…』って言ったら『うそでしょ?』って乗客の女の子3人が。バッと前を見たら道がないし落ちかけているしそこで腰抜かして」
安井さんは乗客を降ろし非常階段を使って安全な場所まで避難させた後、近くのコンビニで使い切りのカメラを買いました。安井さんはそのカメラで撮った写真を見せてくれました。
【帝産観光バス 安井さん】
「こうやってみたら本当にすごいなと思いますわ」
Qなぜ写真を撮ったんですか?
「こんなことは二度と起こらんだろうなって思って…写真を撮っておこうと。今は(訪れた当時の現場)そんな雰囲気ないけど、『こうだったんやで』、『ああやったんや』でっていうのは、ずっと伝えていった方がいいんじゃないかなと思いますね」
■“震災の証”を残すことで「教訓」を後世に
想像することもできなかった震災の証を残し、教訓を後世に伝える。
阪神高速でもそんな思いで取り組んでいることがあります。
【阪神高速道路・技術企画課 小川翔平さん】
「こちらはコンクリートの橋脚なんですが、斜めに亀裂が入ったものを保管している所になります。“せん断損傷”というコンクリートに斜めに亀裂が入る、これの実物になります」
阪神高速では道路の倒壊や落橋で16人が犠牲になりました。この保管庫では地震によって大きく亀裂が入った橋脚など30点以上が展示されていて、月に4回、一般公開されています。
【阪神高速道路・技術企画課 小川さん】
「当時、高架下に保管していたものを保管庫に移してきて現在はこのように保管して展示しています。(当時)想定をこえる被害が生まれた。二度とこのような被害が起こらないように、後世への継承が非常に大事だと思っています」
■“あの日”のこと「伝えていく」…スマホにいつも“あの写真”
2023年に定年を迎える安井さんは、自身の経験を積極的に後輩に伝えています。
【帝産観光バス 安井さん】
「うまいことできるやん、ばっちりやん。その感覚だけ忘れないようにしてもらって…とりあえず1周回って来て、ここにバックしましょうか」
安井さんは“あの時”のように高速道路でバスが落ちそうになったらどうするか?新人に尋ねてみました…
【帝産観光バス 安井さん】
「ここは宙ぶらりんに浮いているわな。そんな時どうする?」
【新人の運転手】
「自分だったら動揺してどうしていいかわからない、動揺して気絶するかもしれないですね」
【帝産観光バス 安井さん】
「気絶する?気絶する暇もないけど」
【帝産観光バス 安井さん】
「生き延びた1人やわな、それ以上の経験ってないと思うのよ。それを生かしたいし、ここにずっと『帝産バスにこういうのがあった』と残していきたい」
震災の後もバスを運転し続けた安井さん。スマートフォンの待ち受け画面は、あの時に撮影したバスの写真です。
【帝産観光バス 安井さん】
「僕のお守りみたいなもんだね、ずっと待ち受け画面にしているんですけど。(震災が)起きた当時は、やっぱり、すぐまた業務とかあったので怖い。高速道路を走るときは『ここで落ちたら…』とか思いましたね、これを見て安全運転しなあかんというお守りになるし。僕らの業界はお客さん乗せて仕事するので、安心安全が第一なのでそれを忘れないように」
あの日、生かされたという思いを胸に、28年を迎えます。
(関西テレビ「報道ランナー」2023年1月12日放送)