1995年1月に発生した阪神淡路大震災。
この地震で唯一、全壊した警察署では、多くの署員が生き埋めになりました。
被災者でありながら、人々を救助する立場でもあった当時の警察官が見たもの、そして伝えたいこととは。
■「至るところに黒煙が」 警察署長があの日みた光景
【横田誠治さん】
「まだ揺れている状態の中でも、つぶれた家で『ここです、ここにいるんです』って言われたら、絶対助けにいくわ。それで大丈夫ですかーって言いながら、なんとかどけて、引っ張り出せた。でもその後は、誰一人生きた人は助けることができなかった」
若手警察官に当時の経験を語りかけるのは、甲子園警察署の署長、横田誠治さん(55)です。
28年前、兵庫警察署の署員だった横田さんは、揺れで目覚め、急いで車で署へ向かいました。
その道中、事態の深刻さを知ることになります。
【横田誠治さん】
「至るところに黒煙が上がってて。よく見たら火災が起きてるんですよね。いろんなところに、のろしのように上がっていた」
兵庫区では、建物940棟が全焼し、およそ1万棟が全壊しました。
いつも見ていた景色は、全く違ったものに変わっていました。
【横田誠治さん】
「(普段は)絶景なんです。素晴らしい景色、ロケーションの場所。それだったから余計に、あの光景は信じられないものだった」
■警察署が全壊 署員が生き埋めも…「近隣住民の救助を優先」
兵庫署に到着して目の当たりにしたのは、厳しい現実でした。
【横田誠治さん】
「ちょうどこの通りまっすぐ下りてきたんですけど、 一階がつぶされているっていう。ショックでした」
兵庫署の一階は大きく潰れていました。
警察署としては唯一の全壊で、夜間勤務をしていた署員のうち、1人が死亡、他にも9人が生き埋めになりました。
仲間に命の危機が迫る中で、当時の署長の指示は、「近隣住民の救助を優先させる」。
【横田誠治さん】
「目の前で生き埋めっていう状態の先輩とか仲間を先に救出できないっていうジレンマもありましたけど、それを感じる間もなく、周りから『おまわりさん助けて助けて』っていう声がいたるところにしてたんで」
■「家族のことが走馬灯のように」 生き埋めとなった元署員
当時、兵庫署内にいた山崎保さん(64)は、生き埋めになった一人です。
【山崎保さん】
「膝から下が倒れたロッカーには挟まれて、それ以上身動きはできない状態でした。向こうを優先するんで勘弁してくれというような声はかけられましたね」
絶え間なく続く余震で建物がグラグラと揺れ続ける中、山崎さんはガレキの下で待ち続けました。
【山崎保さん】
「自分の家族のことが走馬灯のように。少なくとも娘の結婚式だけは出たいなとか、しょうもないことが頭の中をぐるぐると回ってましたね」
ーー:Q先に出してほしいとは思わなかった?
「助かりたい、ここで死なれへんという気持ちはありましたけど、だんだん状況が分かってきたときに警察官としての自分が戻ってきたというか。これが俺の仕事なんや、ここで助けてくれとか泣き言なんて言われへんやろという気持ちの方が」
山崎さんはけがをしたものの仲間の手で助け出され、治療のあと、そのまま救出活動にあたりました。
【山崎保さん】
「救える命ってまだあったんちゃうかなって。(警察の)余力を、私らが救助される方に回してしまったんちゃうかなという思いは常にありますよ」
■「何もできなかった無力感」忘れられない記憶
当時の署員らの集まりがありました。
【山崎保さん】
「みんな50歳こえた?」
「28年かぁ、早いもんやなあ」
山崎さんは5年前に退官。横田さんや、当時の若手署員たちも、多くの部下を持つ立場になりました。
長きにわたる警察官人生の中でも、震災は決して忘れることのできない経験です。
【山崎保さん】
「いまでも覚えてる、病院が燃えとってこれ大変やって」
【横田誠治さん】
「もしかしたら署まで火の手がくるんかなっていう」
【当時の同僚】
「なかなか帰れなかったですもんね」
【当時の同僚】
「(救助先から署に)帰ろうと思ったら、助けてって言われるから」
【横田誠治さん】
「日が暮れてようやくって感じ」
倒壊した兵庫署の前にテントを張り、バスの中で寝泊まりしながら救助活動に明け暮れた日々。
それでも、燃え広がる火の中、生きて助け出せた人はほんのわずかでした。
救うことのできなかった多くの命が、当時の署員たちの記憶に残ります。
【当時の兵庫署員・堀本泰史さん】
「いまの自分たちの態勢で助けられるところを先に行かないといけないので、また来るからねって言って。戻って来たら燃えてしまっていたとか」
【当時の兵庫署員・澤 秀次さん】
「早く助けたいっていう気持ちもあった中で何もできなかったという無力感があります。救助途中で声をかけて反応がなければ次にいきますよっていう決断、それがいまでも心に残っています」
■部下が目の前で埋まっていても市民を助けに…記憶を継ぐ
警察官の大半が、震災を経験していない世代になりました。
横田さんは署長として、28年前の記憶を少しでも引き継ごうとしています。
【横田誠治さん】
「当時の署長が『市民の救助が先だ』っていう言葉を言われていました。市民が助けを求めているところに行きなさいと。自分の部下が目の前で埋まっていても、それを言った。28年がたった今、署長として、あってはならないけど、もしも震災や大きな災害が起きたとき、同じ状況下になったときに、この言葉を署員のみんなに言えるかどうか。自分に与えられた使命だなと思ってます」
【話を聞いた警察官は・・】
「正直、震災の現場を見たときに僕も頭まっしろになってすぐに動けないと思うんですけど、そうなってしまってはだめなのでしっかり訓練したいと思います」
【横田誠治さん】
「当時を経験した者は、こうすればよかったって悔いる部分があるんであれば、少しでも意識づけられるような伝え方ができれば、いざというときには何かしらの役には立つと思っています」
二度と同じことは起きないでほしい。
それでも起きてしまったとき、1つでも多くの命を救うために。
貴重な記憶が語り継がれてゆきます。
(2023年1月17日放送)