映画で再び注目の「Winny」 プログラム開発者が逮捕される前代未聞の事態に…ウィニー事件が残した教訓 ネットの先駆者「惜しまれるのは日本製だったこと」 2023年03月14日
3月10日、映画「Winny」が公開されました。映画をきっかけに一人のソフト開発者が再び注目されています。
約20年前にインターネット上に公開されたファイル共有ソフト『Winny』を開発。このソフトは映画や音楽、そしてゲームなどが簡単に交換できるという画期的なソフトでしたが、悪用が後を絶たず、開発者が逮捕されるというネット史上最大の事件になりました。
この事件が残したものとはいったい何だったのでしょうか。
■データを簡単に交換…画期的なソフト「ウィニー」誕生
カメラ付き携帯電話が出始めたばかりの2002年、この年に「Winny(ウィニー)」を開発したのが、東京大学で助手をつとめていた金子勇さんでした。
3D動画プログラムの作成を得意にしていた金子さん。新しいソフトを開発するたび、広く意見を募るために無料で公開していました。
【記者】
「思いついたものを公開されている。ウィニーもその延長?」
【金子勇さん】
「まったく同じですね。ウィニーも思いついたから。こんなことできますけどどうですかと。技術的なところを皆さんに見てもらうための(公開だった)」(2006年取材)
当時、ウィニーは何が優れていたのか?
ウィニーを入れているパソコン同士が直接オンラインでつながることで、データファイルを簡単に交換することが可能になり、その使い勝手の良さから若者を中心に瞬く間に使用者が増えていきました。
一方、ウィニーを使って映画やゲームソフトを違法にばらまく使用者も増え、次々と“著作権法違反”で摘発される事態が相次ぎ、次第にウィニーに対し厳しい目が向けられるようになりました。
■悪用が相次ぎ…著作権法違反の「ほう助」で開発者逮捕
そして…
【2004年5月10日 金子さん逮捕時の報道】
「インターネットで音楽や映画を簡単に入手できるソフト『ウィニー』を開発し、違法コピーを手助けした東京大学大学院の助手が逮捕されました」
2004年5月、金子さんは京都府警に逮捕されました。
容疑は、著作権法違反の「ほう助」。ウィニーを開発しインターネット上に公開した金子さんが、ウィニーを使って違法に動画などをばらまいた人を「助けた」つまり“共犯者”として疑いをかけられたのです。
【京都府警の会見(逮捕当日)】
「ウィニーを開発して、それを普及させることによって、著作権法違反をまん延させる。それが動機だと…」
金子さんの裁判を引き受けたのが、弁護士の壇 俊光さんでした。
【ウィニー弁護団 事務局長 壇俊光弁護士】
「(犯人を)助けた人も罪になる、『ほう助』ということで。どういう場合に『助けた』になるかの問題があるんですけど、僕はよく“高速道路”に例えています。そこでは改造車を走らせる人もいれば、速度違反する人もいる。それは『高速道路』が悪いんですかと。金子さんは、本当にプログラムしか考えていないんだなと。そういう人をみすみす有罪にするのは、僕の心の中の正義に反すると思って『(弁護を) やろう』と思いましたね」
■7年半にわたる裁判 争点は…金子さんの開発目的
2004年に始まった裁判。警察官の前で金子さんが逮捕前に書いた“書面”の内容をめぐって、激しく争われることになりました。
その書面には…
【ウィニー弁護団 事務局長 壇俊光弁護士】
「『私は著作権侵害“まん延”目的でウィニーを作ったんです』と。それ一発で有罪になりかねない書面でした。地裁での最大の争点でした」
主任弁護人をつとめていた秋田真志弁護士。金子さんの書面を見直して“違和感”を覚えたといいます。
【ウィニー弁護団 主任弁護人 秋田真志弁護士】
「彼の生の言葉じゃないなと。もう一回、捜査記録とか捜査報告書とか、いろんな(警察の)調書見ていくと、(“まん延”が)しょっちゅう出てくる表現だということが分かって、捜査機関側の言葉がそのまま書かれたんだということを、浮き彫りにできるなと感じたわけです」
秋田弁護士の担当警察官への証人尋問により、警察官が用意した見本を、金子さんに書き写させた“作文”に過ぎないことが法廷で明らかになりました。
一方、法廷の外では、パソコンのウイルス感染による情報流出事件が多発。問題の一端はウィニーにあるとの声が政府からも…
【2006年3月 安倍晋三官房長官(当時)】
「もっとも確実な対策は、パソコンでウィニーを使わないことです」
■一審判決は想定外の“有罪”
そして2006年12月に迎えた一審判決では…
【京都地裁】
「主文 被告人を罰金150万円に処する」
壇さんが想定もしていない“有罪”判決でした。
京都地裁(氷室眞裁判長)の判断理由は、「金子さんは、ウィニーが著作権侵害に広く利用されていた利用状況を認識していた」などとして、ほう助の故意があるというものでした。
【ウィニー弁護団 事務局長 壇俊光弁護士】
「裁判官は、著作権侵害“まん延”目的は否定しているんですよね。『だったら無罪だろう』と怒鳴りそうになったんですけど。一番つらいのは僕じゃないんですよ。彼だったはずで…」
【2006年12月13日一審判決後の会見:金子勇さん】
「私としては非常に残念です。技術開発に関して非常に足止めになってしまうと思っています」
金子さんは控訴しました。
金子さんにとって何よりつらかったこと。それは、裁判が続く間、新たなプログラムの公開ができないことでした。
ウィニーを修正したプログラムを公開すると、再逮捕のリスクも否定できないことなどから、弁護団は、金子さんが自由にプログラム公開を行うことを制限していたのです。
【ウィニー弁護団 事務局長 壇俊光弁護士】
「『このままだったら僕はゆっくり死んでいる』と言っていましたね。『壇さんは僕がプログラムを作れるようにする役割なのに、作るなと言っている』と。『僕は公開できないと作れない』と言って。そこでは『すまない』としかいえなかったけど、家帰って死ぬほど泣きましたね」
■ようやく勝ち取った無罪 「金子さんがすごかった」
一審判決から3年後の2009年10月、二審で判決が言い渡されました。
大阪高裁は、「ほう助が成立するのは、主に違法使用を勧めてソフトを提供した場合に限られる」として、逆転無罪を言い渡しました。
その2年後の2011年12月、最高裁も「被告人の関心の中心は技術的な面にあった」として「ほう助」の故意がないと判断。『無罪』が確定しました。
【最高裁決定後の会見:金子勇さん】
「作ることがここまでは問題ないと示せたことは良かったのかなと」
【ウィニー弁護団 事務局長 壇俊光弁護士】
「弁護戦術が優れていたからっていうよりも、金子さんが法を超越する“プログラムバカ”だったから、無罪になったんじゃないかなと。僕のせいではない、金子さんがすごかったんだと思っています」
■インターネット先駆者が惜しむ金子さんの“才能”
裁判後、東大での研究に戻った金子さん。復職からおよそ半年後の2013年7月、突然倒れてこの世を去りました。
金子さんの死から10年。3月10日に映画「Winny」が公開され、今、再び事件に注目が集まるとともに、金子さんの才能を惜しむ声も高まっています。
【俳優 東出昌大さん】
「プログラミングに対する情熱を一番胸に抱いてこの役を演じました」
【“日本のインターネットの父”慶應大学 村井純教授】
「惜しまれるのは(ウィニーが)日本製だったということだよね。その後に(グーグルやアマゾンなどの)GAFAの時代がやってくるんだから。この景色変わっていたかもしれないもんね。あの時の(ウィニーが用いていたP2P)サービスはアメリカにもあったし、ヨーロッパにもあったんだけど、(ウィニーは)それと比べてもはるかに洗練されていた技術ですから。彼を生かしきれなかった悔しさを社会全体で受け止めるべきだと私は思いますけど」
失ったものの大きさを、あらためて見つめ直す時が来ています。
(2023年3月13日放送)