「戦地ウクライナの現実を直視せよ」日本人ジャーナリストが“現地取材” 侵攻され1年4カ月…首都キーウ・虐殺の街ブチャ・地雷に悩むハルキウ近郊の村、そして孤児たち 2023年06月21日
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻からまもなく1年4カ月がたちます。世界の戦地で活動するフリージャーナリストの西谷文和さんが5月、ウクライナを取材しました。復興が始まる街と、まだ程遠い街、それぞれの格差が見えてきました。
■ジャーナリスト西谷氏が9年ぶりのウクライナ訪問
フリージャーナリスト・西谷文和さん(62)が9年ぶりにウクライナを訪れました。西谷さんは主にイラクやシリア、アフガニスタンといった戦地を取材し、ウクライナを訪れるのは2度目です。
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「9年ぶり。2014年の3月に来て…その時はここでマイダン革命をしていまして、このビル燃えていましたからね、黒いすすでしたけれども」
初めての取材は2014年。当時政権を握っていた親ロシア派の大統領に反発する市民デモを取材した時でした。9年前から募るロシアへの“怒り”。首都・キーウの街並みにもあらわれていると西谷さんは話します。
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「キーウで感じたのはウクライナ政府や人々が立てている看板で『最後まで戦え』とか『軍に協力しよう』とか戦時スローガンがいっぱいあって。ウクライナの世論からいうと、『最後まで戦え』っていうのが圧倒的に強くて、だからゼレンスキー大統領も停戦しにくいだろうなと思いましたね」
日本から2日半かけ、単身ウクライナへ渡った西谷さん。今回なぜ、ウクライナを訪れたのでしょうか?
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「だんだんウクライナへの関心が薄まっていくけれども、やっぱり(ミサイルなどの攻撃が)当たって亡くなる方は、その日その日違うわけで、そういう人たちには違う人生がありますから。爆弾の中で生活している人を撮影して日本の皆さんに見ていただきたいなと」
■キーウのすぐ西にある街・イルビン “車の墓場”避難する住民を次々と…
西谷さんがまず向かったのはキーウのすぐ西にある街・イルピン。戦争が始まった当初、ロシア軍による首都陥落を防ごうと最前線となった街です。
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「いまイルピン市内にいますけど、こちら側がキーウであちら側がイルピンとブチャになる。ご覧ください。こういう風に戦争で壊された車が集められています」
無残に積み上げられた車の数々。戦闘から避難させようと、多くのボランティアがイルピンの住民たちをキーウまで運ぼうとしました。しかしロシア軍は容赦なく、無数の銃弾や砲弾を浴びせました。
【兵士】
「攻撃から逃れるため乗客は飛び降りましたが、運転手や女の子が亡くなりました」
この車には8人が乗っていましたが、ボランティアを含む5人が亡くなったといいます。
■ロシアの支配続いた街・ブチャ “1137人の民間人”が虐殺
激戦の末、イルピンは占領を免れた一方で、ロシア軍の支配が続き、惨劇が繰り広げられたのが北西部の街・ブチャです。ウクライナ政府によると1137人もの民間人が殺害されました。(ウクライナ政府による)
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「ここで300人以上の遺体が眠っていると」
教会の敷地には多くの戦死者が埋葬されていました。墓石がないのは、あまりにも多くの人が命を奪われ、身元を調べることができなかったためです。
大虐殺がおこなわれた街・ブチャ。しかし、中心地に足を延ばすと意外にも多くの住民が街に戻っていました。
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「(ブチャの)『街を復興させるために援助してください』という看板があります」
ロシア軍が居座ったため、建物への被害は一部に留まりました。大虐殺が報道されると、世界中から支援金が集まり、住宅の修繕や道路の整備が進み始めています。
■国境の街・ハルキウ近郊のティシュキ村は壊滅 地雷のせいで帰れぬ住民
しかし、ウクライナ全土で復興が始まっているわけではありません。
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「東部のハルキウに関しては繁華街でも人が歩いていないですし、東へ行けば行くほど、ロシアに近くなればなるほど、町が破壊されているので、復興とは程遠い状態だったので、西と東でだいぶ違います」
ウクライナ第二の都市・ハルキウ北東部にあるティシュキ村。ロシアとの国境までわずか20キロほどの場所に位置しています。新興住宅が立ち並ぶこの地域は、2022年9月ごろまでロシアによる支配が続いていました。
国境が近いため、容赦ないミサイル攻撃にさらされ村は壊滅状態に。
さらに…
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「これご覧ください。ウクライナの言葉で“地雷”と書いていますので、森の中やこの辺りには地雷が結構埋まっていると思います」
ロシア軍が一時占領していたエリアには、ウクライナ軍が入って来られないよう多数の地雷が埋められていました。こうした危険がある中で、多くの住民はいまだ自宅に戻ることができません。
この村で夫と子ども2人の家族4人で暮らしていたスヴィトラ―ナさん。週末のたびに自宅に戻り、家の片付けなどをしています。
庭にはミサイルが撃ち込まれた跡や、地雷の破片が生々しく残されていました。
自宅の修理費用は日本円でおよそ4000万円に上るといいますが、国から補償がもらえるかは分かりません。
【スヴィトラ―ナさん】
「国の援助を期待しますが、すべては賄われないでしょう。屋根、窓、断熱材の費用だけでも欲しいですが、他は自分たちで何とかするしかありません」
電気や水道が通るめどは立っていません。こうした街の復興はまだ程遠いのが現状です。
■強まるウクライナの反転攻勢 東部の街・バフムトで“激戦”
戦争の終わりが見えない中、いま、ウクライナは“反転攻勢”を強めています。戦闘が激化する東部の街・バフムトではウクライナが進軍するも、多くの兵士が犠牲になり、負傷者も出ています。
【バフムトで背骨を負傷した兵士】
「5階建てのビルがあれば(ロシアの民間軍事会社)『ワグネル』の兵士は階段のコーナーごとに身を潜めている。最初の5人組が殺されると次の5人組、そのまた次の5人組と、次々肉弾戦を挑んでくるんだ。本当に地獄だよ」
■終わらぬ戦争 頼る先もない孤児院の子どもたちはキーウの学校に避難
キーウにある学校。バフムトの孤児院から28人の子どもたちが、頼る先もなく、ここに避難しています。
西谷さんは日本の中学生から預かった手ぬぐいと手紙をプレゼントしました。
ウクライナの現状を目の当たりにした西谷さんは…
【フリージャーナリスト・西谷文和さん】
「(戦争が)泥沼化して行く中で、『こういう映像は見た』とか、住人が亡くなるのはウクライナだからしょうがないなと思うではなく、(亡くなる)10人には10人の人生がありますし、何としても早く停戦させたいなと思いますから、戦争の現実というものを私たちはやっぱり直視し続けて早く終わらせようと、(取材を通して)そういう世論にしていきたいなと思いますね」
【ウクライナ国内の死傷者】
死亡 8895人 負傷者 1万5117人
(2023年5月21日まで 国連調べ)
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻からおよそ1年4カ月。終息に向け、まだ先は見通せません。
(2023年6月21日 関西テレビ「newsランナー」放送)