「魚を食べただけなのに…」約70年たっても救済されない被害者 『原告全員』を水俣病と認めるか 2例目の判決は22日【水俣病国賠訴訟】 2024年03月21日
多くの人たちの人生を奪った公害「水俣病」。
今もその被害を訴え、救済を求める人たちが全国で裁判を続けています。
【水俣病の患者】「人生返して。やり直したい」「人として認めてほしい」
3月22日、熊本地裁で迎える2例目の判決。長い間苦しめられてきた被害者たちの訴えに、司法はどんな判断を下すのでしょうか。
■「魚を食べただけ」…汚染された魚介類が原因
大阪府島本町に住む前田芳枝さん(75歳)は、今も手が震える水俣病の症状に苦しんでいます。
【前田芳枝さん(75歳)】「しんどい…。ごめんなさい、こんな字しか書けないんですよ」
震える手で自身の名前を書いて見せてくれましたが、その字にも震えが表れています。
【前田芳枝さん(75歳)】「10代からこうやってぶるぶる震えておりましたので、人生返してよと。私が何したんですか。魚を食べただけなんですよ」
1956年に初めて公式に確認された水俣病。患者の多くは熊本県と鹿児島県に囲まれた不知火海(しらぬいかい)周辺に住んでいました。
熊本県水俣市にある化学メーカー・チッソが排出したメチル水銀によって、魚介類が汚染されたことで発生しました。
手足がしびれたり、転びやすくなったりするのが特徴で、死亡した人も少なくありませんでした。
それでも水俣病の被害者の救済は、当初厳しい条件があったことから、なかなか進まなかったのです。
そしておよそ半世紀、被害者たちが裁判を起こして勝訴した結果、2010年に国は「水俣病特別措置法」によって救済の条件を緩め、一時金や医療費の支払いを始めました。
しかし、救済のための申請は2012年7月で締め切られ、その2年後に水俣病と診断された前田芳枝さんは、申請することすらできませんでした。
さらに救済される地域が原則として限られていたため、前田さんが住んでいたエリアは対象外となっていました。
【前田芳枝さん(75歳)】「(居住地域による救済の制限は)海に線を引くとか地域に線引くとか、何のためにそういうことするの?って、切り捨てたいの?って。私たちの体を見て、理解できないんですかって」
■今も被害を訴える人が絶えない理由
今も水俣市の民間病院ではほぼ毎月、水俣病が疑われる人たちの集団検診が行われています。
検診では、100以上の項目を調べていきます。先がとがった針のような器具を体に押し当てて、感覚の鋭さを調べるのも検査の1つです。
【記者】「はっきりと、チクチクと痛みがある感じですね」
本来、感覚が鋭い手や足の指先などはこの検査で痛みを感じます。しかし、ある男性が検査を受けると…。
【医師】「足の指ですけど、チクチクしますか?」
【男性】「しないです」
【医師】「すねはどうですか?」
【男性】「しないです」
体のどこに器具が触れても、痛みがないといいます。
この男性は鹿児島県阿久根市出身の60代で、40歳を過ぎた頃から手足にしびれが出始めました。
【水俣協立病院 藤野 糺名誉院長】「水俣病から来ている感覚障害だと思います。加齢と共に出てきたということじゃないでしょうかね」
【水俣病検診を受けた男性】「『ほっと(した)』というよりも、ショック。これ以上ひどくならなかったらいいなと思いますけどね。他の第三者がどういう目で見るか分かりませんけど、『あの人、水俣病なんだ』という目で見られるのもちょっと嫌だなというのはありますよね」
水俣市の隣、鹿児島県出水(いずみ)市に暮らす村山悦三さん(78歳)も、13年前にようやく水俣病と判明した被害者の1人です。
今もまだ被害を訴える人が絶えない背景には、水俣病への偏見や、地元の経済を支える大企業・チッソを批判できないという事情もありました。
【村山悦三さん(78歳)】「ここの周辺、ここから水俣のチッソの工場に働きに行く人が全部だったんですよ。あそこが一番の働き口。ですから被害者になっても…(訴えづらい)」
「水俣病の被害のことはあまりここら辺では(話題に)出なかったですね」
実は水俣病の被害者がどのくらいいるのか、公的な調査はこれまでに一度も実施されていません。
しかし、民間の医師たちが不知火海周辺に住む1万人以上に検診を実施した結果、手足のしびれや、つまずきやすいといった不調が「いつもある」と答えた人たちは、他の地域に住む人に比べて明らかに多くなっています。
水俣病の問題が一向に解決しないのには、調査にも後ろ向きな国の姿勢があると、水俣病を研究する専門家は指摘します。
【大阪公立大 除本理史教授】「被害の全貌が明らかでないというもとで、かつ被害者の救済の範囲を非常に狭く絞り込んできた。(解決のためには)きちんと水俣病の病像というのを制度上で捉えられてきたような狭いやり方で診断せず、被害者が広く救済されるような制度に改めていく必要があると思いますね」
■各地で訴訟 約1700人の原告の平均年齢は75歳
水俣病の症状があるのに救済されなかった人たちは2013年に熊本、その翌年に大阪など、各地で救済を求めて、相次いで裁判を起こしました。
現在、全国で原告は1700人余りに上っています。
提訴から9年がたった2023年、大阪地方裁判所で最初の判決を迎えました。
特措法による救済範囲の制限を否定し、原告全員を水俣病と認定。国と熊本県、原因を作った企業「チッソ」に1人あたり275万円、あわせておよそ3億5000万円の賠償を命じるという内容でした。
【徳井義幸弁護団長】「全員が水俣病だと認められました。画期的な水俣病の救済問題を大きく前進させる判決だという風に言って良いと思います」
激しい手の震えなどの症状を訴えていた前田芳枝さんも、原告に加わっていました。
【前田芳枝さん(75歳)】「私たちは今日の日を指折り数えて待っておりました。もう今日は本当にうれしくてうれしくて、たまらないです」
しかし、国などはその後控訴し、裁判は続くことになりました。
そして3月22日には、熊本地方裁判所で2例目の判決が言い渡されます。
裁判が10年以上続く中で原告は高齢化し、平均年齢はおよそ75歳。提訴後に亡くなった人も240人を超えます。
【熊本訴訟の原告 花山 章さん(72歳)】「長いですね…早くしてくれんかなという感じで。これで諦めたら、もうそれまでだから。体が続くまでがんばるしかないですもんね。全面勝利したいですもんね」
前田芳枝さんは、熊本地裁でも勝訴できれば、国などが全ての被害者の救済に踏み切るのではないかと期待しています。
【前田芳枝さん(75歳)】「違う人生もあったろうにと思うと『人生返して』『やり直したい』ってそういう気持ちになるのはみんな一緒だと思います。その悔しさは半端じゃないですよね。そういう人がまだ表面に出ないで、まだいっぱいいるんだと。そういう状態で、そんな苦しい、つらい人生の人たちを救ってほしい」
「お金じゃないんですよね、私たちが動いているのは。本当に謝罪はもちろんですし、人として認めてほしい」
水俣病の問題が発生してから、すでに70年近くが経過しています。
患者の60代男性は「40歳を過ぎた頃から手足にしびれが出始めた」と、水俣病の潜伏期間の長さを訴えました。
また、前田芳枝さんは「住んでいた地域でなぜ救済の線引きをするの?」と、救済対象の地域が狭すぎることについて疑問を呈しています。
花山 章さんは、「自分が水俣病だと思わなかった。救済の申請もできなかった」と、賠償請求権が20年で消えるのはおかしいと訴えました。
2023年9月の大阪地裁の判決では、こうした原告側の訴えが全て認められています。熊本県で行われている裁判でも、大阪地裁と同様の判決が下されることが期待されています。
判決は3月22日。裁判の行方に注目です。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年3月19日放送)