北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さんの父・有本明弘さんが老衰のため亡くなったことが分かりました。96歳でした。
■北朝鮮へ拉致された「娘は生きている」と信じ、帰国を待ち続けた有本さん亡くなる
【有本明弘さん】「恵子の写真があったやろ。あれここ置いとったりいな」
去年1月、神戸市の自宅で娘の64歳の誕生日を祝った有本明弘さん。
【有本明弘さん】「40年間や、なあ。それだけ長い間、この問題を放っておいたんや、日本が」
三女の恵子さんは大学卒業後、ロンドンに留学していた1983年に、「仕事を紹介する」と巧みにだまされ、北朝鮮に拉致されました。
その5年後、明弘さんと妻の嘉代子さんが目にしたのは、恵子さんが北朝鮮で暮らしていると記された手紙でした。
【恵子さんの母・有本嘉代子さん】「とにかく命がけで書いたと思いますよ」
事態が動いたのは、2002年。北朝鮮が日本人の拉致を初めて認めたのです。
そして5人の拉致被害者が帰国しましたが、北朝鮮は「恵子さんなど8人は死亡した」と主張。
しかし、北朝鮮が提出した「死亡診断書」に書かれた生年月日が、実際とは異なるなど、“数々の矛盾”が表面化しました。
有本さんは「娘は生きている」と信じて、帰国の日をずっと待ち続けていましたが、嘉代子さんは娘と再会できないまま2020年に亡くなりました。
【恵子さんの父・有本明弘さん】「今、恵子には『助け出すまで、もうちょっと待っとけ』と言いたい。私はあと何年生きられるか分かりませんが、家内の分まで生きて、この結末を見届けたいと思っています」
その後、明弘さんは歩くのも困難な状態となり、娘との再会を果たすことなく、15日未明、96歳で亡くなりました。
■「私たち家族はいつまでも恵子の帰りを待ち続ける」 有本さんの家族が会見で語る
17日、家族が会見を開き、明弘さんへの思いを語りました。
【有本明弘さんの長男・隆史さん(62)】「父は恵子との再会を果たすことはできませんでしたが、苦しむこともなく家族に見守られ、安らかな顔で最期の日を迎えることができました」
【有本明弘さんの二女・尚子さん(66)】「亡くなる直前に、『(皆さんに)本当によくしてもらった』と言ってました」
【有本明弘さんの四女・郁子さん(62)】「(恵子さんには)とにかく元気で生きていてほしいです。何が何でも生きていてほしいです」
【有本明弘さんの長女・昌子さん(68)】「父は亡くなりましたけど、私たち家族はいつまでも恵子の帰りを待ち続けています。どうかこれからもご支援をよろしくお願いします」
■石破首相は拉致被害者の帰国について「あらゆる手段を使って実現」と強調
石破首相は17日朝、国会で…。
【石破茂首相】「今回、亡くなられましたことは、本当に残念でありますし、最後に交わした言葉というものは、私の脳裏に強く焼き付いている」
こう述べた上で、1日も早い拉致被害者の帰国について「あらゆる手段を使って実現させていかねばならない」と強調しました。
■拉致被害者家族の親世代は横田めぐみさんの母・早紀江さん(89)ひとりに
明弘さんが亡くなったことで、帰国を果たせていない拉致被害者家族の親世代は、横田めぐみさんの母・早紀江さん(89)1人となりました。
(Q.有本明弘さんの逝去を聞いて?)
【横田めぐみさんの母・横田早紀江さん(89)】「びっくりしました。やっぱり間に合わなかったと、まず思いましたね。かわいそうだなと思って。(恵子さんに)一目会わせてあげたかったというのはいつも思ってたから、どんな思いで亡くなったんだろうと思って」
(Q.有本さんとの思い出は?)
【横田早紀江さん会見】「いつもあの方は変わりないから。日本の上の方にあっても、外国の方にあっても、言うことはひとつですから『助けてください』って。熱心で、本当に一生懸命でしたよね。助けなきゃという思いで、もうめったにないですよね。あれだけのことできる人は」
拉致被害者家族会代表の横田拓也さんは、「恵子さんに会わせてあげたかった。本当に残念です。日本政府は速やかに日朝首脳会談を行い、全拉致被害者の即時一括帰国を実現してほしい」とコメントしています。
■「生きてるうちに抱きしめてあげたい」 妻・嘉代子さんを亡くしてからは1人で
明弘さんは恵子さんとの再会を果たすことがかないませんでした。
関西テレビの加藤さゆり報道デスクは明弘さんを何度も取材していました。
【関西テレビ 加藤さゆり報道デスク】「神戸にお住まいでしたので、神戸支局の担当の時に、北朝鮮が弾道ミサイルを打つとか、日本の政権が交代するといったタイミングでいつも取材を真摯に受けてくださいました」
「すごく元気なお父さんでいらっしゃったんですけれども、2020年に妻の嘉代子さんが亡くなられてからは、やはりすごく肩を落とされて、一人でつらかっただろうなと、映像からいつも察していました。いつも2人が、『なんとか生きてるうちに抱きしめてあげたい』とおっしゃってたのが、本当に印象的でした」
■横田めぐみさんの母・早紀江さんがご健在のうちに問題解決を
帰国を果たせていない拉致被害者のうち健在な親世代は、横田めぐみさんの母、早紀江さん1人となってしまいました。
【共同通信社 太田昌克編集員】「今回の有本さんのご逝去は、恐らくもちろん家族会の横田さんも断腸の思いでみていらっしゃると思いますし、もちろん関係者の方、有本さんのご遺族ご家族も。『ずっと日本政府にほったらかしにされてた』と明弘さんおっしゃってました」
「私、2002年の9月、小泉純一郎総理が平壌に行った時、同じ政府専用機で取材に行きました。北朝鮮の説明“5人生存8人死亡”という、最初の北朝鮮の説明を日本政府が聞いたのを日本に一番早く伝えたのは、私だったんです。通信社の記者なもんですからね」
「ただあの時は、とても北朝鮮の説明では、ご家族の皆さんに納得がいかない、とてもじゃないけど信じられなかったんですよ。だから粘り強く交渉して、それでなんとか問題解決の扉を開かなきゃいけない。何回か機会があったんだけど、それが今閉じてしまっている」
「ここで今、トランプ大統領が帰ってきた。恐らくこの1年、2年、ことしすぐはないかもしれませんけれども、北朝鮮と米朝の交渉が動く可能性があるんですね。そこにどうやって日朝首脳会談を絡ませながら、(拉致被害者家族会代表の)拓也さんもおっしゃってましたけど、日朝首脳会談をやって解決策を、何とか生存、帰還につなげるような、具体的な解決策、待ったなしということで。ぜひ、横田早紀江さんが存命の間に問題解決を日本政府に図ってほしいですね」
ご健在のうちに帰国を実現するためには、本当に一刻を争う事態と言うことになっています。
(関西テレビ「newsランナー」2025年2月17日放送)