東日本大震災から14年。原発事故は今も大きな影響を及ぼしています。
ふるさとを追われ、避難生活を続ける人がいる一方で、国は“原発回帰”に舵を切り始めました。
同じ悲劇を繰り返さないために、いま、考えるべきことは…。
■原発事故のあと、母と妹の3人で福島市から避難
【菅野みくにさん】「これがワラビでこれがフキノトウ。これつくしで、福島にいたとき、友達のおばあちゃんの家に遊びに行って、タケノコと山菜採りをさせてもらった時に食べたやつ」
京都で暮らす菅野みくにさん。原発事故のあと、母と妹の3人で福島市から避難しました。今は自分でデザインした雑貨を制作・販売しています。
【菅野みくにさん】「福島にゆかりあるものを作ろうと思って作ることも結構ある。地元が同じ人とかがいるので喜んでもらえたらいいなと思って」
当時13歳だったみくにさんも、26歳。
ふるさと・福島で暮らしたのと同じ時間を遠く離れた京都で過ごしています。
■故郷、家、穏やかな家族の日常すべてが原発事故に奪われる
放射性物質をまき散らすことになった福島第一原発の事故。「安全なクリーンエネルギー」の謳い文句も吹き飛びました。
目に見えない恐怖、健康への影響。子供を守るため、母・千景さんは避難を選択するしかありませんでした。
【母・千景さん】「人が普通に生活することができない場所ができてしまうっていうのも、震災・津波ではありえないことじゃないですか。原発だから、核の事故だから、そういうことが起きるんだっていうこと」
故郷、家、穏やかな家族の日常。すべてが原発事故に奪われました。「元通りの福島」に帰ることは、もう叶いません。事故から14年が経った今も、2万人以上が福島県外で避難を続けています。
仕事のために、1年間は一人福島に残った父・晴治朗さん。家族が離れ離れにならざるを得なかった経験はみくにさんの心に暗い影を落としました。
【菅野みくにさん】「父がすごいポーカーフェイスというか、あまり感情を表に出す人ではなくて、でも最後に私たちを(京都に)送るときに顔がくしゃくしゃになるぐらい泣いてて。その姿を見たのが本当に生まれて初めてだったので。それにびっくりしたのとすごく苦しくて」
■「つらかった時のことがフラッシュバックで」大阪北部地震をきっかけにPTSD発症
みくにさんらは2011年8月に京都・伏見区に避難。
【母・千景さん】「毎年夏になると(京都に)来た時の気持ちを思い出す」
京都の中学校に転校したものの、新しい環境に馴染めなかったみくにさんに千景さんは一人、寄り添い続けました。
【母・千景さん】「無言で歩いてたね。『行きたくない、行かねか?』『でも休んだら…』『いいんだいいんだ、休め。休め。帰るか?一緒に』って」
なんとか前を向き始め、憧れだった美術大学に進学したものの、大阪北部地震をきっかけにPTSDを発症しました。
【菅野みくにさん】「何をするにも不安がついてきたり、楽しい事してても、つらかった時のことがフラッシュバックで戻ってきたり。一番ひどい状態の時は悲しいという色眼鏡をかけてしかこう周りを見れないみたいな。何をしてても何を見てても悲しくなってくる。今でもあるんですけど」
すべてはあの原発事故から始まったのです。
■事故から7年 一審京都地裁は東京電力と国の責任も認定
なぜつらい思いをしなければいけないのか。原発を推進してきた国と東京電力の責任を問う裁判にも参加しました。
一審京都地裁は、東京電力だけでなく、津波を予見できたのに対策を命じなかったとして国の責任も認定。事故からは7年が過ぎていました。
【菅野みくにさん(当時19歳)】「原発の問題にかかわるのを避けてたんですけど、子供を守るために避難してくれたお父さんお母さん、本当にありがとうございます」
【母・千景さん】「避難してから子供らも元気なくなったりして、何回も避難したこと間違ってたんじゃないかって夫は自分のこと責めてました。私も責めてました。お父さんにもう今日から自分のこと責めなくていいからねってはっきり伝えたい」
なかなか理解してもらえなかった苦しみ。安堵とともに、それまでの思いが溢れた瞬間でした。
■大阪高裁は一転して国の責任を否定「思いをどこにぶつけたらいいんだろう」
しかし、国と東京電力は控訴。
去年12月、大阪高裁は一転して国の責任を否定したのです。津波が想定より大きく、国が対策を義務付けていたとしても事故は防げなかったという判断です。
【母・千景さん】「国は原発を推進してきたわけで、それなのに国の責任がないっていう判決だったので。(原発を)推進する、お金も使う、それなのに責任がないってどういう言い訳だろうっていう。その思いをどこにぶつけたらいいんだろう」
【菅野みくにさん】「皆さん苦しい時間だったと思うんですよ、ほかの原告の方も。別に自分たちが悪いことしてないのに、そういうふうにやって頑張って裁判に臨んできたのに。時間もそうだし、今までのは何だったんだろうって思いました」
福島では廃炉作業の見通しすら立っていませんが、国は40年を超えた原発の運転を認めるなど、 “原発回帰”の動きを見せています。
■ほかの原告も怒りを覚える 「本当に明日は我が身」
こうした動きに、怒りを覚えるのはほかの原告も同じです。
【高木久美子さん】「悔しいです。本当に悔しいです。原告の声、一生懸命裁判官は聞いてくれてるとそう思ってました。何なんでしょう、私たちの声を聞いてるふりして、ふざけんなって」
同じく京都訴訟の原告団に加わる高木久美子さん。
震災の翌年に福島県いわき市から娘2人と京都へ避難しました。地域の人の協力で、毎年追悼イベントを開いています。
【高木久美子さん】「もう13回やってるんです。数えたらこんな長くやってたっけって。皆さんすごい協力的で」
【地域の支援者】「やっぱり原発事故っていうのはどこで起こるか分からないからな。福島でたまたま大事故が起こったけども、全国に(原発は)たくさんあって南海トラフの地震がいつ起こるか分からないけどね。福島原発事故を見たらいかに人々に大変な思いをさせるかっていうのがもう明らかなんで」
【高木久美子さん】「自分たちが受けた被害をしっかりと伝えなければ。自分たちだけの問題じゃなくて、日本国民全体の問題だと皆さんには知ってもらいたい。本当に明日は我が身ですからね」
■「事故はまた起きるって、私は絶対思ってる」 責任を国に問い続ける
14回目の春。今月、刑事責任を問われた東京電力の旧経営陣は無罪が確定しました。
だれも責任を取らないまま、事故の教訓も投げ捨てられるのかー
【母・千景さん】「悔しい。あんな悪いことして、誰も悪い人がいない状況が不自然じゃないですか。事故はまた起きるって、私は絶対思ってるんです。起きてほしくないですけど」
【菅野みくにさん】「このままで行ったらってことでしょ」
【母・千景さん】「ちゃんと次の時代のためにけりをつけるじゃないけど、きちんとしておかないとなって思います」
奪われてしまったふるさと、経験しなくてもよかった苦しみ。その責任は東京電力だけなのか。今も国に問い続けています。
(関西テレビ「newsランナー」2025年3月11日放送)