東京駐在のカンテレ記者が、キーパーソンに取材するWEB特別レポート。
今回は、国際博覧会担当大臣に就任した衆議院議員の井上信治氏です。
国土交通省などの勤務を経て2003年に初当選・現在6期目。
12月1日の博覧会国際事務局(BIE、本部・パリ)の総会で2025年大阪・関西万博の事業計画などを定めた日本政府の「登録申請書」が審査され承認される見通しです。
各国に万博への参加を呼び掛ける「招請活動」のスタートを前に、万博への想いを訊きました。
■“万博担当大臣”就任はテレビの速報で知る 思わず「えっ」
――Q:万博担当大臣への就任は率直にどう思われましたか
いや、これはですね結構驚きまして、ニュースのテロップでいきなり “万博大臣に井上信治” というのが出て、「えっ」てなりました。正直に言うと、私は東京選出ということもあって、東京としてはオリンピック・パラリンピックで頭がいっぱいなんですよね。万博に対しては、あまり意識がなかったんです。今回の組閣で万博担当大臣が創設されるということも頭の中から抜けていたから、まさか自分がという感じです。
――Q:まさか、テレビのテロップ知るなんて
そう。それで、その30分後ぐらいに総理から電話があって、その時には言われましたよ。
――Q:総理からは、何を言われたんですか
正確に言うと、総理からは、万博ではなくて、内閣府の担当大臣をやってくれと言われたんです。
内閣府の担当大臣は何人もいるし、担務がいくつも分かれているじゃないですか。
だからものすごい気にはなったんだけど、最初の総理からの連絡だから、「入閣ありがとうございます」とだけ言いました。細かいことなんて聞けないので。
それですぐ電話を切ったんですが、頭の中では担当なんだろうとなりますよね。万博はテレビで言ってるからそうなんだろうと思い、知ってる記者に連絡して、「何か聞いてる? どうなんだ俺は」って感じで。それが前の晩でした。
組閣の日は結構バタバタしていて、総理と話す機会がなかったんです。だから、翌日か翌々日に総理のアポを取って官邸に行って、「万博担当大臣というのは何をしたらいいんですかね」って、聞きに行きにいったんです。総理は、万博に対して思い入れもあるし、大阪の松井市長や吉村知事とも良好な関係だから総理に聞くのが一番いいと思ったわけです。
それで、総理からは「やっぱり地元である大阪・関西を大事にして、協力して進めて欲しい」みたいな話をいただきました。
――Q:特に細かい指示はない
細かい指示はしないでしょう。総理だよ、相手。
■ほぼ毎週関西へ 現場を見て話を聞くところからスタート
――Q:話は変わりますが、これまで関西との関わりは
残念ながら関西に住んだ経験はないんです。
ただ、国土交通省のときに、航空局で伊丹空港を担当していたので、毎週のように伊丹に通っていました。騒音対策や街作りの担当だったんです。
空港周辺の方は騒音などの悩みや苦しみが多くて、住民の方々の要望をどうやって実現するかということで。国の担当として、大阪市など自治体の皆さんとも協力して仕事をしていました。約2年、毎週のように通いましたよ。
――Q:大臣に就任してからほぼ毎週末、関西に行かれている。現場に足を運ぼうというのはそういった経験から
そうですね。政治家としての信念というか基本姿勢ですよ。
私は、困ってる人を助けたいという思いで政治家を志しました。直接いろいろな人と会って、要望や意見を聞いて、それを良い形で実現をしていくというのが政治家の仕事だと思っています。
今回は万博担当大臣で、大阪・関西の地元が大事だと思ったから、まず通うと。現場を見て、地元で話を聞いて、そういうところから始めようと思ったもんですから今、一生懸命通っている。
■おじさんたちが目を輝かせて語る“50年前の万博” こういう万博にしたい
――Q:実現したい「大阪・関西万博」のイメージはありますか
私は1969年生まれなもんですから、1970年の大阪万博(以下:70年万博)のことは記憶にないんです。ただ、大阪に通いだして思いましたけど、あの70年万博の思い出を、いいおじさんたちがみんな目を輝かせて語るわけですよ。
「いやーすごかった、俺は何十回も行ったよ。何時間も並んで」って楽しそうに話すわけ。
これはいいなと思いますよ。50年前の話を生き生きと、昨日のことのように、自分の一生の思い出として、誇らしげに地元のこととして語るわけです。これはいいと思いました。
2025年から何十年か経ったときに、そのときの子供たちが自慢できるような、そんな万博にしたいなって思います。少し情緒的な話だけど。
――Q:私の娘が今5歳で、小学生になったときに連れていって、人生観が変わるようなものになってほしい。
今はコロナのこともあって、日本の未来に対する閉塞感とか不安感とか、ネガティブな感情もあると思う。特に若い世代が自分の将来に不安を感じている。それを何とか払拭したい。
色々なアイディアを出してもらって、思い切ったことをたくさんやって、もちろんうまくいくものも、いかないものもあると思う。そういった、失敗を恐れず、いろいろチャレンジしていくということじゃないかな。
■失敗を恐れず色々やったらいい チャレンジできる土俵を整えるが我々の仕事
――Q:70年万博の時は、携帯電話や自動運転、人間洗濯機などイノベーションの未来を見せていた。インターネットが発達した今、やるべき万博は
万博全体で明るい未来を感じてもらうっていうことかな。
例えば科学技術だとか、ライフサイエンスもそうだし、色々なことをやっていく中で、全体として、やっぱり日本の未来はすごいことになるんだなと。なんかワクワクするような、そういう提案ができたらいいと思っています。
デジタル技術によって、色々なことができるから、どんどん取り入れていけばいい。それは時代の必然だよね。バーチャルでどういうことができるかは、当然試していかないといけないし、その中で、見るのもいいと思いますよ。
見るだけじゃなくて、体験があってもいいし、それがバーチャルの中ででも、いろんなやり方があるわけだから、挑戦したらいい。
そりゃさ、たくさんあるんだから、これショボいんじゃないのというのがあったって仕方ない。多分70年万博の時もそうだよね。今見ると、「えー」っとなるものがあっても仕方ない。色々やった方がいいよ。せっかくなんだもん。
我々の仕事は土俵を作って、いろんな人たちに協力をしてもらうことだと思う。規制緩和もそうですし、なるべく土俵を広げて、それが実現しやすいようにしていきたい。
■会場建設費1250億円から上振れしても 国・府市・民間の負担割合は維持
――Q:会場建設費約1250億円の3分の1を民間が負担することになっている。コロナの影響を心配する声もある。民間の負担割合を減らすことも選択肢としてはあり得るのか
これは非常に大きな問題で、今、国際博覧会協会が作る「基本計画」の策定作業が大詰めを迎えていて、少なくともこの基本計画の中に、会場の建設費の金額を盛り込まないといけない。今まさにこれを精査している。それがどうなるかにもよるけれども、基本的には3分の1ずつ負担というのはもう決めたことなので、例え上振れしたとしても維持ということでやっている。金額がどうなるかは、まだこれからですが、いずれにせよ、地元自治体や経済界にはお願いをしていかないといけない。
――Q:基本的には既定路線のまま継承していくことになる。
会場建設費は一度、関係者が合意して決めたことだから。
それは守るべきだと思っているけど、それ以外に、財源的なことでも、いろんな形で国が支援できることもあるし。それは、なるべくやった方がいいと思っています。インフラ整備にしても、各省庁が補助金を出すなど色々行っている。無駄遣いをしないとか、コスト削減をすることも大事かもしれないけどやっぱり、万博担当大臣としては、必要な財源は何とか確保して、良い万博を作り上げたい。
――Q:この経済状況で従業員のボーナスすらままならない中、関西財界で負担を背負うことができるのか
関西に限らず、これは国を挙げた大事なビッグプロジェクトなので、全国の経済界にお願いをしていこうかとは思っています。何も今すぐその何百億お願いしますじゃない。まだ4年半ある。確かに今はコロナの影響がひどいので、なるべく早く収束させて、経済も良くしていけたら。
■コロナ禍で「招請活動」にも影響 万博への参加呼びかけはオンラインや、在京大使を通じて
――Q:12月1日にBIEの総会で登録申請書が承認される見通し。万博への参加を呼び掛ける「招請活動」が始まりますが、大臣としてはどのように動いていく。
本当は総会をパリで開催してもらい、そこで世界に向けてアピールしようと思っていましたが、残念ながらオンラインで開催ということになりました。
12月1日を終えれば、正式に各国に招請活動ができるということなので、それをしっかりやっていきたい。ただ、どうしても直接海外に行くことが難しい。可能性は探っていきたいと思っていますが、それと並行して、例えばオンラインで働きかけるとか、あるいは、在京の大使の皆さんに働き掛けるとか、海外の要人が日本に来た時に万博についてもこちらからお願いをしていくとかいろんな形はあると思う。
――Q:12月1日からが、パビリオンを出してくださいねということを世界に呼びかけていくスタートになる
そうですね。パビリオンが最初かもしれませんが、実際に万博が始まったら海外からの大勢のお客さんに来てくださいと呼びかけるということですね。
国内においては、オリンピック・パラリンピックが1年遅れていて、それが終わらないとという雰囲気があって、海外においてはドバイ万博(新型コロナウイルスの影響で約1年延期・2021年10月~)が1年遅れていて、ドバイが終わらないと、両方同じような状況にあって、そこはやっぱりちょっと苦しいところですけどね。
――Q:盛り上がりの機運醸成など課題もある
大阪はおかげさまで結構盛り上がっていて、私がどこに行っても結構皆さん歓迎してくれていて、一緒に頑張ろうという話になるんですけど。東京など、関西以外はまだまだ全然ですよね。
例えばオリンピック・パラリンピックと比べるとわかりやすいと思いますが、今までの万博は行かないと分からなかったと思うんですよ。大阪の人は70年万博に行っている人も多くて、記憶もすごく鮮明で感動も鮮明なわけです。
オリンピックも、テレビ中継をずっとしているし、それを見たことない人なんていないじゃないですか。万博に比べて期間は短いけど、ずっとニュースになるです。4年に1回やってるからいろんなオリンピックを見ていてイメージもつきやすいし、わくわく感もある。
万博の場合、例えば「前の万博を知っていますか」と言われても、そんなのニュースで見たかなという感じではないですか。だからやっぱり難しい面はあると思います。
ただ、国家プロジェクトなので、日本全体でやっていくしかない。正直、オリンピック・パラリンピックが終わるまでなかなか次の万博にシフトチェンジすることは難しいけれど、そうも言ってられないので、オリンピック・パラリンピックが終われば、次の万博だということで、2段ロケットみたいに盛り上げたいと思っています。
――Q:そもそもですが、「なぜ万博をやるんですか?」と聞かれたら、大臣としてはどういうふうに答えられますか。
一つは菅総理がおっしゃるように、コロナを乗り越えた証として、人類が感染症に打ち勝った証としてということはあると思います。
例えば、高齢化社会になり、高齢化を何か悪いことのように言う人はいる。もちろん社会保障の課題などあるけれども、高齢化っていうのはさ、長寿化であって、これは人類の今までの夢だったんだよ。それを実現することができてるのだから、こんないいことは本当はないわけです。そういう健康とか長寿っていうことにスポットを当てて、みんなに前向きな感覚を持ってもらうということかな。いつまでも元気で長生きできるように。そういう未来の国を作っていくというメッセージはすごく大事です。
■70年万博は「月の石」 25年の万博でも宇宙でメッセージを
私は内閣府特命担当大臣として、宇宙政策も担当していますが、宇宙は、やはりフロンティアなわけですよ。無限の可能性があるんです。この宇宙をどうやって、人類が活用していくのか、ということも何かメッセージとして出せたらいいなと思っています。
70年万博の売りの一つは、アポロ宇宙船が持ち帰ってきたアメリカ館の「月の石」だったんだよね。
今アルテミス計画(2020年代の有人月面着陸を目指し、日本も参加する国際共同プロジェクト)をやろうとしていて、いいタイミングなんです。月から色々持って帰るには、万博の方が少し早いかなとは思いますが、色々なメッセージを発信出来たらいいと思います。
そういう意味では、機運醸成は、万博のことがイメージができて期待を持つことができるかどうじゃないかな。それが国民の皆さんの胸にちゃんと届けば、皆さん、期待して協力してくれると思います。
(関西テレビ・東京駐在記者 原佑輔)