天王寺動物園のクマは「僕の師匠」と西川きよしさん 天王寺にいた『恐竜』は日本の歴史の象徴だった【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2025年01月17日
1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
2025年最初の「今昔さんぽ」。西川きよしさんが、兵動大樹さんと一緒にさんぽしてくれました。
■西川きよし師匠と一緒に今昔さんぽ
今回手にしたのは、なんと「恐竜」の写真。1964年(昭和39年)に大阪市内で撮影されたものです。
ちょっと考えてきよし師匠、「ああ、言うてもええの。パンときた」と何か思いつきました。写真が撮られた昭和39年は、きよし師匠が18歳で、吉本興業に入った時なのだそうです。
ちなみに“日本国民が待ち望んだあること”を祝うイベントに関する写真だということです。
日本橋からスタート。昔のことをよく知っていると街で教えてもらった「大福屋」という着物屋さんで話を聞きます。社長で日本橋商店会の会長でもある赤石憲俊さんに写真を見てもらうと、「ビビっときました。すぐ分かりましたよ。昭和40年代ぐらいに、ここでよく遊びましたもん。天王寺動物園やと思いますよ」と答えが出ました。
それを聞いて、きよし師匠はガッツポーズ。師匠が先ほど浮かんでいたのが、「天王寺動物園」か「五階百貨店」だったのです。
【西川きよしさん】「僕は『てなもんや三度笠』の劇中劇に出てくるクマのぬいぐるみに入っていた。クマはどんな動きするのか、弁当持ってずっと天王寺動物園で見てたんや。写真のことは分からんけど“勘”やな」
■きよし師匠がクマを研究していた「天王寺動物園」
1915年(大正4年)に「大阪市立動物園」として開園した天王寺動物園は、今年で開園110周年。園内には約170種・1000点の動物を飼育しています。写真のエピソードを伺うため天王寺動物園に連絡を取ると、向井猛園長自ら応対してくれて、「恐竜が展示されていたと聞いたことがあります」とのこと。
資料を確認させてもらう前に、きよし師匠は懐かしの“クマさん”に会いに行きました。きよし師匠がクマの住みかに向かって「師匠」と呼びかけながら近づくと、メガネグマが出てきてくれました。
【西川きよしさん】「うれしいねえ。(クマ役をしたとき腕が)腫れたのを堪えてやったなあ、根性で。それからクマがすごい上手になって、吉本で『クマ』『ヒヒ』『シシ』『ウシ』は全部僕の役。涙出るほどうれしかったのが、(着ぐるみを脱いだところで)演出の澤田隆治さんという人が僕に、『早よ顔を出せる芸人になりや』と言ってくれた」
■天王寺動物園の資料で「恐竜」確認
さて、「天王寺動物園70年史」を見せてもらい、恐竜の展示があったことが確認できました。1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、翌年日本の主権が回復されたことを記念して、「婦人とこども大博覧会」が天王寺公園などで開催。およそ300万人が詰め掛けました。
運営課の木嶋海智さんによると、恐竜は、その時に展示されたもので、昭和27年~昭和58年ごろまで存在して、老朽化や「鳥の楽園」建設のために取り壊されたようだとのことです。
撮影ポイントへやってきた、きよし師匠と兵動さん。現在は同じ場所に「鳥の楽園」のゲージがありました。
【西川きよしさん】「今年も春から縁起がええわ。人生はやっぱり初心を忘れたらいかん。小さなことからコツコツと」
【兵動大樹さん】「これもクマ師匠がいたからこそですね」
兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年1月10日 金曜日放送)