戦後日本で初の本格博覧会「アメリカ博」GHQの指示で急遽ゲートを“切った”当時の職人が裏話【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2025年01月24日
1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
大阪や神戸にもアクセスが良い西宮市は、甲子園や商業施設、閑静な住宅街などもあり、住みたい町ランキングでは常に上位にランクインする人気のエリア。そんな西宮の中心的なエリア、阪急・西宮北口駅前からスタートします。
■飛行機、ニューヨーク、海?いったい何の写真
1950年(昭和25年)に西宮市で撮影された、まるで海外のような風景が写った写真。
飛行機?ニューヨーク?海?。いったい何の写真なのか、駅前で聞き込んでみてもさっぱりヒントがありません。
西宮北口の昔の話ならと、兵動さん大正5年創業の寿司店「高辰(たかたつ)」へ向かいました。兵動さんも何度か訪れているお店です。かつては西宮北口の商店街に店を構えていましたが、30年前の阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、震災復興事業としてオープンした「アクタ西宮」の中で営業再開しました。写真を見た高辰のご主人…
【「高辰」5代目 阪上順一さん】「これね、お客さんから聞いたことがあるんですけど、戦後ぐらいに『アメリカ博』というのがあった。アメリカから航空機とかいっぱい来て、すごいにぎわった」
■「ステテコ履いて、アメリカ博の映画館見に行った」
この界隈の生き証人ともいわれる、辰写真館のオーナー・辰能次(たつよしつぐ)さん(92)に、教えてもらいに行きました。今回の写真は辰さんが18歳ぐらいの時に撮影されたことになりますが…
【辰写真館 辰能次さん】「アメリカ博やろ。(行きましたか?)ステテコ履いて、アメリカ博の中の映画館に見に行った。西宮球場にも展示があった」
西宮北口の周り一帯でアメリカ博は開催されていたと、辰さんはいいます。
■入り口ゲートをつくった職人さん「GHQに言われて上を切った」
でも撮影場所を特定するところまではいかず、以前もお世話になった“西宮の重鎮”、「西宮まちなみ発見倶楽部」の小西巧治さんに、さらに詳しい話を教えてもらうことになりました。
小西さんによると、「アメリカ博覧会」は、戦後の日本で初めての本格博覧会で、西宮球場の南側が第1会場、阪急今津線の西側に第2会場があって、アメリカを紹介する大博覧会だったそうです。1950年、86日間かけて開催されました。GHQの全面協力でホワイトハウスなどアメリカの名所が再現され、約200万人が来場して、にぎわったそうです。
当時、博覧会の建設に携わった前田栄一さんも来てくれました。
【前田栄一さん】「第2会場の入り口を作った」
入り口は元の設計では、2本の傾いた柱が上でつながって、真ん中に地球儀が置かれた「A」の形をしていたのですが、GHQが「上を切ってくれ」と言ってきたのだといいます。
【前田栄一さん】「(支えられなくなって)潰れたらどないすんねん言うた。ところが『アメリカが地球を股にかけている印象』を与えると。しょうがないな。職人やから、やってなんぼや」
■200万人来場でにぎわった「アメリカ博覧会」
アメリカの文明・歴史・技術などが展示されていた「アメリカ博覧会」。写真の飛行機は、B29を使った旅客機で「空飛ぶホテル」と呼ばれたものだったそうです。
当時の案内地図や別角度から撮られた写真と照らし合わせた結果、現在の両度東公園から南西を向いた位置だということも判明しました。
【兵動大樹さん】「西宮で『アメリカ博』という200万人がつめかけたすごい博覧会があった。建物は日本の大工さんが作ったということでした」
兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年1月17日 金曜日放送)