日本初の食パン!スライスして販売した京都「進々堂」おいしいパンを作るためドイツから巨大窯を輸入した熱い創業者がいた【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2025年03月02日
1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
京都の北野天満宮から今回の旅はスタート。菅原道真公をまつっている北野天満宮は、学業成就のお社として知られ、受験シーズンは参詣人でにぎわいます。また春には「梅苑・花の庭」も公開され、約1500本の梅が春の訪れを告げています。
■ずらっとパンが並ぶ昭和18年の写真
さて1943年(昭和18年)に京都市で撮影された写真。4人の職人さんと窯のような大きな機械、その手前にはずらっとパンが並んでいます。どこで撮られた写真なのか、兵動さんが探ります。
なお、京都市は年間のパン購入額が全国で1位になるほど、京都人はパン好きなんです。
(総務省統計局家計調査 二人以上の世帯 2021年~2023年平均)
■戦争のころには「何店舗か合同でパンを焼いていた」
まず写真について教えてもらったのが、創業大正8年の「大正製パン所」。昔懐かしい菓子パンに惣菜パンなど50種類が並び、地元の方や学生が通う町のパン屋さんです。女将の河戸晴美さんは写真を見て、思い出したことを話してくれました。
【河戸晴美さん】「聞いているのでは、終戦時には何店舗か合同でパンを焼いていた。小麦粉も配給だった。(パン好きの理由は)私らの西陣では、西陣の織屋さんがパンだと手軽に食べられる。扱っている着物が汁気があると汚れるけど、パンだと乾燥している」
それから京都パン組合の理事長なら詳しいのではないかということで、理事長の山本隆英さんにも写真を見てもらうことに。窯に特徴があり、「進々堂」ではないかとのことです。
ところで「京都にパン屋が多い理由」には諸説ありますが、「京都人の新しいもの好き」と大学が多くあり若者がコスパ・タイパの良いパンを求めたからではないかと、山本さんは教えてくれました。
■日本で初めてスライス食パンを販売した「進々堂」
1913年創業の老舗パン屋「進々堂」。焼き立てのおいしいパンを届けられる範囲だけというこだわりから、京都にのみ店舗があるベーカリーです。
写真が撮られた当時の創業者は、日本でも本物のパンを作りたいという思いでドイツ製の焼き窯を取り入れ、主食としてのパンを製造したのです。
進々堂管理部の堤博之さんによると、日本で初めて販売されたスライスして包装されている食パンが、進々堂の「デイリーブレッド」でした。
また戦争中に3つの会社がまとまって、進々堂の工場でパンを焼いていたということです。
堤さんは当時の工場で働いていて、工場があった場所はいま駐車場になり、窯があったのはその奥の方だったそうです。
【兵動大樹さん】「京都のパン文化。進々堂が日本で初めて食パンを切って販売した。やっぱり京都は奥が深い」
▲兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年2月21日 金曜日放送)