「だし文化」守る老舗こんぶ店4代目が大発明 自然と歴史の積み重ねで“坂道多い”『空堀』の街【大東駿介の発見!てくてく学 関西テレビ「newsランナー」】 2025年03月15日
俳優の大東駿介さんが、関西の街を歩きながら魅力を学ぶ「発見!てくてく学」。
今回、大東さんが訪れているのは大阪市中央区に位置する空堀エリア。大阪城の城下町として栄え、最近は古い家屋を改装したレトロでおしゃれな店も立ち並ぶ注目のスポットです。
空堀エリアは住所でいうと「谷町」。明治の頃、谷町で開業した医師・薄怒一(すすきじょいち)は大の相撲ファンで、けがをした力士を無料で治療したり、時にはお小遣いを渡すことも。その面倒見の良さで力士たちから「タニマチ」と呼ばれ慕われたそうで、スポンサーを意味する「タニマチ」の語源になったと言われています(※諸説あり)。
■全国でも珍しい「坂道が多い」街並みの理由
空堀商店街は坂になっていて、脇道も坂。空堀エリアに坂道が多い理由について、大阪の歴史に詳しい栗本智代さん(大阪ガスネットワークエネルギー・文化研究所主任研究員)に教えてもらいました。
6000年〜7000年前、大阪市内はほとんど海でした。上町台地と呼ばれる部分だけが半島のように陸地になっていて、空堀エリアはこの高台に位置していたのです。
【栗本智代さん】「縄文時代の頃、大阪の町はほとんど海の底にあった。空堀の辺りは台地上になっていて、海から顔を出していた。坂が多いのは上町台地であるということと、もうひとつは『空堀』という名前に由来しているんです」
案内された商店街の路地には「お堀」の跡がいまも残っています。豊臣秀吉の時代にできた、大阪城の南側を守る水のない巨大なお堀が空堀エリアにあります。もともと高台にあった空堀エリアは、掘られて、また埋め立てられてと、時代によって変化し、坂の多い複雑な街並みになっているのです。
■「長屋再生プロジェクト」で新名所誕生
空堀エリアでまちづくりの活動をしてきた、「大阪まちプロデュース」の山根秀宣さんに「長屋」を案内してもらいました。
古い長屋や民家の取り壊しにより、一時期空き地が増加していました。それを食い止めるため「長屋再生プロジェクト」が始まり、古い家屋をリノベーションした複合施設がいくつも誕生して、新たな名所になっています。
■食卓からだし文化消滅の危機
122年の歴史を持つ「こんぶ土居」は大阪のだし文化を支えてきたお店です。こんぶを使ったさまざまな商品を販売しています。
そもそも、昆布はほとんどが北海道産なのに、なぜ大阪でだし文化が広がっていったのか。こんぶ土居4代目の土居純一さんによると、江戸時代中期から明治にかけ、北海道と大阪の物流を支えた北前船(きたまえぶね)で、良質な天然の昆布が大阪に運ばれて来たのが始まりだということ。
さらに大阪の軟水は昆布だしが出やすかったことや、南に隣接する和歌山でしょうゆが生産されていたことなど、昆布をおいしく加工する条件が整っていたため、大阪にだし文化が定着していったのです
大阪のだし文化を支える昆布ですが、温暖化などの影響で、海の砂漠化とも言われる問題が起きて深刻な状況に。近年、天然昆布の生産量は減少の一途をたどっているとのことです。
日本が誇るだし文化の素晴らしさを広めるべく、さまざまな活用法を考えている土居さんおすすめの、とっておきの活用法があります。
まず十倍だしを用意し、その量に対しおよそ15パーセントの食塩を加え混ぜ合わせます。それをスプレーボトルに入れて、刺身や豆腐などにしょうゆの代わりに吹きかけることで、おいしさが格段にアップするのだそうです。
土居さんのだしスプレーを吹きかけたお刺身をいただいた大東さん…。
【大東駿介さん】「最速でだしが来ますよ。これ大発明してますね。吹きかけた瞬間に“だしの風”が来る」
【土居純一さん】「生産現場は大変な状況にありますが、人から求められていることが改善の条件。皆さんが大事さを知り、必要なんだと示す、つまり使うことですね」
▲大東さんの“発見”の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」 2025年3月6日 木曜日放送)