大阪市西成区に、過去に罪を犯した人などが集う教会があります。犯罪を犯した身寄りのない人の遺骨を引き取り、“生き直し”を説く牧師の想いを取材しました。
■罪を犯した人などが“生き直し”をする教会
今年9月、大阪市の南霊園で執り行われた“無縁仏慰霊祭”。この1年間に大阪市立の斎場で火葬された3408人の身寄りのない人を弔いました。そのほとんどは、生活保護の受給者です。遺骨は原則、親族が引き取ることになっていますが、大阪市の場合、最低1年間の保管期間が過ぎないと親族以外が引き取ることはできません。
大阪市西成区にある「メダデ教会」の牧師、西田好子さん(73)は、この斎場に保管されている、ある男性の遺骨の帰りを待ち続けています。
【西田さん】
「“つらいけども、(2024年)9月1日まで待っててや”と言うて」
西田さんがそう声をかけた遺骨とは、安倍政道(当時67)さんのもの。元暴力団組員で、晩年をメダデ教会で“生き直した”信徒です。
“日雇い労働者の街”として知られた西成の“あいりん地区”に、キリスト教の「メダデ教会」があります。かつて小学校の教師だった西田さんが、ホームレスや罪を犯した人たちが“生き直し”をする教会として、13年前につくりました。
■牧師・西田さんと安倍さんの出会い
生前の安倍さんは、イエス・キリストについて西田さんにこう尋ねていました。
【安倍さん】
「イエス様って、大体どこにおるんや」
西田さんが天を指しました。
【安倍さん】
「それがな、大体俺の場合は、理解ができへんのや。イエス様、イエス様と言ってもな」
【西田さん】
「イエス様があなたの罪のために死んだということが分からなあかんねんけどな」
【安倍さん】
「それには逆らったらあかんのか」
【西田さん】
「当たり前や、アホ」
福岡県久山町で生まれた安倍さん。父親が亡くなり、母親が再婚した時期から、小学生にして非行に走り、20歳で暴力団の組員となりました。殺人などの罪で延べ10年以上を刑務所で過ごしました。暴力団を脱退した2014年、西成の公園で説教をする西田さんと出会い、メダデ教会の信徒になりました。
西田さんとの出会いについて、安倍さんは次のように語っていました。
【安倍さん】
「えらい熱く訴えるおばちゃんがおるなーと。こんな世の中でまだこんな熱いことをしゃべるおばちゃんがおるんかなと思って。その話を聞くうちになんとなく、涙が出てきた。このおばちゃんの熱く訴える話に。それが西田牧師や」
そんな安倍さんについて、西田さんは…。
【西田さん】
「“(自分は)やくざ”と言うて、“(西田さんに)命預ける”って。すごいこと言うなと思って。あの子、もう行く所ないから。もうやくざを完璧に辞めました。仕事もしたことがないでしょ。私はこの子はメダデしかないなと初めから思ってました」
■教会との出会いで変わった 新しい生き方
刑務所に繰り返し入っていた人、ホームレスだった人。およそ20人の信徒たちは、みんな“人生につまずいた”過去があり、ここで“生き直し”をしています。中でも安倍さんは、自らの過ちを話すことができる唯一の信徒でした。
【安倍さん】
「私は組(暴力団)でてっぺんになってやろうと思って、一生懸命努めました。私は、拳銃と日本刀の中刀を持って(抗争に)行ったのであります。そして、2階から降りてくるやつを拳銃でぶち殺しました」
自分の生い立ちや犯した罪、メダデ教会でどう変わったのかを、安倍さんは西成のホームレスの人たちの前で堂々と語りました。
【安倍さん】
「姐(西田さん)とメダデの兄弟たちがみんな、待っていてくれたのであります。本当に帰ってきて良かったなと思い、私は姐に“ただいま”と言いました。おふくろ(に対して)は、昔は“クソババア何を言いよるんや”と思っていたものが、“おふくろ、ごめんな”と思うようになったのであります」
そして、牧師である西田さんも、同じように熱く語っていました。
【西田さん】
「誰が許さんかっても、神様が許してくれたら新しい生き方ができます。安倍のようにです。我が人生、極道の人生(その話を)聞いて、俺も同じ道やったなと思う人がいたら、変わってみたいと思ったら、おいでや、教会に。このままゴミや、カスや、クズやと言われる人生で終わるんじゃなくて、“あいつはほんまに変わったな”と、そう言ってもらえる人生に、残りの人生、メダデ教会に来てやってみませんか」
■信徒たちと家族同然に過ごす
信徒たちのほとんどは身寄りがなく、生活保護を受けながら同じマンションで暮らしています。一人になると再び犯罪に手を染める恐れがあるため、西田さんはこの13年間、信徒たちと家族同然に過ごしてきました。
そんな中で安倍さんは、3年ほど前から糖尿病が悪化しはじめたため、入退院を繰り返すようになりました。
「早く治して、早く帰ってこいや。みんな待ってるから。気をつけてな」と、メダデの信徒に声をかけられる安倍さん。何十年も前に親族との縁は切れてしまっていますが、今はメダデ教会の家族が安倍さんの帰りを待ってくれています。
【西田さん】
「あの子は自分がやってきた人生を悔いたんです。自分がメダデ教会の人たちに愛されることによって、お母さんの気持ちも分かるようになった。でも、それが分かるには愛がいっぱいある教会でないとできないってことやねん」
暴力団にいた頃は、服役しても反省のなかった安倍さんですが、いつしか憎んできた母親に“生き直した”自分の姿を見せることが、生きる目標になりました。しかし…。
ある日のメダデ教会には、安倍さんの亡がらに真新しいズボンを乗せながら涙を流す西田さんの姿がありました。
【西田さん】
「これ着て(母親の所に)行きたかったんやろ。買うたんやろ、一回も履かんとさ。アホやぞ、お前は。根性なし」
西田さんはネクタイを結んで安倍さんの体に乗せ、「ええ男や」と声をかけました。
2022年9月26日。安倍さんは急性心不全のため、67年の人生に幕を下ろしました。安倍さんの部屋には、母親への「ゴメンナサイ」という謝罪の言葉がびっしりとつづられた便せんが残されていました。
安倍さんの遺骨は、親族と連絡が取れないため、およそ2年、斎場で保管されることになりました。親族ではないメダデ教会の家族は、遺骨をすぐに持ち帰ることができません。西田さんは、唯一引き取ることが許された安倍さんのペースメーカーを、遺骨の代わりに持ち帰りました。そのペースメーカーを見つめ、西田さんは話しました。
【西田さん】
「(ペースメーカーが)よう焼けんとあったもんや。これでしばらく生きてくれたんやな…。葬式終わったらみんな疲れはんねんって。私も疲れるねん。後悔が残るねん。やり切れなかったことに。それが疲れたっていうんや。お前がいてへんようになった分、本当に悲しい。やっぱり悲しいで…」
■「“第2の谷本”をつくらないため」多くの命を奪った容疑者の遺骨も…
2023年9月1日。西田さんは、大阪市内の斎場から骨壺を抱えて出てきました。骨壺に入っていたのは、2021年12月、北新地の心療内科で26人の命を奪い、殺人などの疑いで書類送検された谷本盛雄容疑者(当時61)の遺骨です。
死亡のまま不起訴処分となった谷本容疑者は家族と絶縁状態で、孤独と生活苦から多くの人を巻き込む“拡大自殺”を図ったとみられています。
【西田さん】
「“第2の谷本”をつくらんためには、親族も誰も助けの手を出してくれなくても、(メダデ教会は)助けの手を出してくれるんやなって、そのことがちょっとでも谷本と同じような境遇の中におかれている人に示されたら。(Q.犯罪の前にメダデ教会に来てほしいということ?)そう、そういうこと」
西田さんのもとには、「出所したら教会を訪ねたい」という手紙が、全国各地の受刑者から届きます。その中のある手紙には、こんな言葉が綴られていました。
「孤立させられ、恨んで恨んで、“絶対奴らは殺す!そしてオレも死ぬ!”とチャンスをうかがっていた時に谷本氏の事件が起きたのです。同じ結果を招いたかもしれないと、自分自身の思考の恐ろしさに気づかされました」
西田さんたちは、谷本容疑者をメダデの家族として迎え入れました。
【西田さん】
「谷本(容疑者)の遺骨をもらうことによって、多くの方々の気分を害することを、心よりお詫びします」
さらに、次のように語りました。
【西田さん】
「(谷本容疑者を)かわいそうやと思ったねん。被害者の(遺族の)人はこの話を出したら怒るかもしれないけど、かわいそうと言うたねん。(Q.かわいそうだから遺骨引き取りに被害者の遺族が怒ったとしても仕方ない?)うん、かわいそうは一部だけ。悪いことは悪いんです。でも、一人なんや。なんでこうなったというその部分だけに寄り添って欲しい。そこだけやねん。私の子(信徒)はみんな“なんで西成にきたか”という、そこに私は寄り添ってるから。“なんでこういうことになったんですか”と、だったら見てやらなあかんのちゃうかなと思って」
誰も孤立させないという思いを持ち、“人生につまずいた”人達と共に生きていく西田さん。世間の批判は覚悟の上で、罪を犯した人の遺骨を引き取る道を、これからも選び続けていきます。
関西テレビ報道センター記者 菊谷雅美
(関西テレビ「newsランナー」2023年10月2日放送)